雨上がり、ガソリンスタンドからは虹色の窪みがこぼれていた。

「わかっちゃった人たち」を読み終えて、
「マインド」って言葉が何度もリフレインして、
 そうか、マインドって、
 すごい面白い、わたしはすごく好きだと思った。
 マインドにとても助けられている、マインドがなきゃ、どうやってこの無為をしのごうかと気が遠くなる。
 
5:56 2018/09/06
 地上を走る電車を見ていたら、ええっというくらい上へ上へ上っていった。その後下り、メビウスの輪のようにねじれ、つまり上が下になる、
 足が天を、頭が地を向く、ジェットコースターだ。
 あれ何、というと職場のNが、わたしはあれには乗りませんという。
 気がつけばテーマパークのようなところへ仕事場の皆と遊びにきているらしい。
 次、(運転席に乗るのは)のんちゃん、と職場のTさんが言う。
 ネクストを指名するかのように。
 それはTさんのようであり、高校のときの担任である数学教師のようでもある。

 これは夢だ。
 
 夢でそういうことがある。
 これはおそらく実際にそう、なのではないかなと思う。
 魂が重なるというか、
 前世を共有するとか、
 前世が変わるとか、
 そういうのは、こういうことかと思う。

 夢では知人Aと知人B、あるいは知人C、あるいは親が、重なり合うということがあっけないくらいに、ある。
  
21:19 2018/09/06
 夢であれ何であれ、現実であれ、
 なんだろう、言葉ではその尻尾しか捕まえられない。
 猫の尻尾だ。
 それは容易くすり抜けてしまう。
 わたしは猫の尻尾を持つだけでその全身を持ち上げられるという特技を持っているけどそれだって猫自身の協力がなきゃできないような奇跡だ。
 野良猫にもそれが出来るかっていったら確かに出来ないね。
 よほどデキている猫でもなきゃ。

 お互いに傷つけ合ったりはしないんだという信頼でもなけりゃね。つまり警戒心の無さがなけりゃね。
 
 幼児期の愛着障害、愛着飢餓が、今現在の苦悩に満ちた、特に密接している人間関係を作り上げている、という本を読んでいる。
 わたしはほんとうになんで、こういうものが好きなのかなあと思う。
 いやもう好きですね。
 自分自身にそれがあるとは思わないんだよ、一ミクロンもないとは言わないが、障害になったり苦痛を及ぼしたりするほどには、愛着飢餓が影響を及ぼしているとは、実際思えないことだ。
 だからおそらく、自分の耐え難い苦痛を取り除くためにこうしたものに惹かれるというわけじゃないと思うんだ。
 じゃあなぜっていうと、もうだから、好きなんだと思うわけ。
 
 まあものすごく平易に単純に言ってしまうとね。

 

 マインドが好きっていう話をもうちょっと掘り下げたいような気がするが、これ以上どう何を言えばいいのかもわからない。
 マインド、この言葉を意識したのは、マインド・コントロールにおいてが最初だっただろうか。
 その後、いま思い出せるのはOSHOだ。
 マインドはあなたと同一ではない。

 マインドを落としなさい。
 そりゃそうだ、と思う。

 マインドとは精神であり思考であり過去であり未だ来ぬ未来であり。エゴでもあり。
 
 マインドはなんていうか。
 

 そう、唐突だけど美人に関してもわたしには提言がある。
 美人とは自分を素のままで価値あるものとして受け容れた人のことだ。
 素のままで、と割り込ませることには若干の懸念がある。
 素のまま、というほど曖昧なテーゼ、というか、つまり何が素であるのかということが、
 これほど人によって違うものはないし、それこそ自分の根源が反映されるものもないだろうと思えるからだ。
 
 わたしは化粧をしないかっていうとするんです。
 それは楽しみだからする。

 眉毛の刺青、アートメイクなんてしないね、だって毎日毎日描くならば怠ることなく眉を描きたいもの。


 わたしは服を着ないかっていうと、着るのです。
 化粧をしなくても逮捕されないが、服を着てなきゃさすがに逮捕されるか病院送りになっちゃう。
 そうまでしてハードルの高い主張を好むか、選ぶかというと、選ばないわな。迂遠だから。
 それにわたしは服が好きだから、服を着ることに何ら苦痛はない。
 わたしは化粧が好きだから、化粧をすることに何ら苦痛はない、そこに意外とルーティンはない。
 だから素のまま、の素がこのばあいスッピンを意味するわけではない。
 実際スッピンじゃなきゃ素じゃないとか言い出せば実に堅苦しいぜ。
 
 意味といえば、
 今日図書館で立ち読みした、ブッタカシーダマルカだったっけな、
 なんかブタのブッダのマンガで、
 ブタA)世界には意味なんてない(断言・前提)
 ブタB)そうか意味なんてないのか…(戸惑い・虚しさ)
 ブタA)あなたが世界に意味をプレゼントしたらいいじゃない(転換・希望)、
 というページがあって、あれ、好きだな。
 括弧はわたしが付け加えた。
「ブッタとシッタカブッタ」、だった。
 なるほど、笑える。
 これいいよね、立ち読みした程度だけど、これはユーモラスでいいな。
 

 最近、百均でシャボン玉キットを買った。
 シャボン玉のふわふわ宙を舞う感じと、虹色に光り移り変わる彩りの止まない感じが子供の頃とても好きだった。

 風呂場で延々と石鹸でシャボン玉を作っていた。

 飽きることがなかった。

 さすがに身体が冷えて飽きて諦めるような、時間が経ちすぎていることが懸念されるような(あんた、風呂場で死んでいるんじゃないでしょうねと親が心配する・かも?)、そんなでもなけりゃ、それこそいつまででもやっていられるようなイリュージョンがそこには、あった。


 雨上がり、ガソリンスタンドからは虹色の地面がこぼれていた。
 ガソリンって基は化石なんだってね。
 そんな御託や薀蓄や実際は大人になって知った知識だけど、そんなこと知らなくても、ガソリンの虹の煌きの美しさは、感ずることができるんだ。
  
 そういえば今朝、台風一過、東の空の一角に、小さな虹が見えた。

 えもいえぬプレゼントのようにそれは静謐に控えめに、空に映っていた、わたしは虹に向かってちょっと微笑んだ。

 

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