あなたは自分の見たい未来をきっと見るべきだ。

 わたしはよっぽど頑固なんだと思う。
 前世を思い出せないのも、心の声を聞けないのも、神や宇宙や、宇宙人の声を聞けないのもね。
 いまあるものだけで何とかしたい。
 いや、そのいまあるものが宇宙人の声であって何がいけないか、いまあるものとはいえないか、といわれると、
 なんだか答えに窮してしまうのだが。

 だから頑固なんだって。

 今日会った友達と、知識っていうのは何でもないでしょうという話をしていた。
 わたしがなぜ本をそれこそ、最近とみに、むさぼるように読むかといえば、
 知識を得たいからじゃない。
 知識とか忘れるからわたし、まるごと全部あとかたもなく。

 てのは嘘かもしれないけど、そんな得た知識をそのまま話したって誰も共感してはくれないもの。

 自分の血や肉になっていない話なんてね。

 そうじゃなく、思い出したい、気づきたい、インスピレーションを得たいから読む。
 知識を蓄えたからって賢くはならない。
 それらはむしろ、邪魔をするとさえ思う。
 自分の気づきを。
 
 枠を外したくて読むのであって、枠をこしらえたいから読むわけじゃない。

 冒険する理由を探したいのであって、冒険しない理由を探したいわけじゃない。
 わたしは城を築かない。
 いたずらには、遊びには築くかもしれないけれど、それこそ砂の城のように。
   
 皆、段階がある。
 皆自分が何をしに生まれてきたかという一応の目標、目的はあるんだろうなと思う。
 それをおろそかにはしないでほしいと思う。
 もちろんわたしも、おろそかにはしません。
 
 誰に何をいわれたって、諭されたって、叱られたって、構わないじゃないか。

 あなたは自分の見たい未来をきっと見るべきだ。
 あなたは、自分の振り返りたい過去ときっと向き合うべきだ。
 誰に何と笑われようと、泣かれようと、かまわないじゃないか。

 補足すると、知識は何でもない、というのは、
 知れば何とかなる、という考えは嫌だからだ。
 知ってる者勝ちとか、そんなルールはないの。
 まったく狭い。
 だから、正しいことをしにきたわけじゃないの。
 いっそめんどくさくなって、むしろ正しくないことをしにきたんだよ。
  
 ひとを、ああだこうだとジャッジしにきたんじゃない。
 あなたは自分のしたいことをしにだけ生まれて来た。
 
 言い訳はよしな。
 自分がしたいことを出来ない理由を探すのはやめておきなよ。
 また、批判されることへの、正当な反論を探すのもやめておきなね。
 
 したいからする、それで十分なのよ。
 それでどんな困難に陥ったとしても、したいことをしなかった人よりも実は先へ進んでいるのだから。
 

 その先はずいぶん長いかもしれないけどな。

 

 でも、ほんとうにそうよ。

 したいことをしなきゃそれで済むかといえばそうじゃないのが、カルマだから。