「タイガーと呼ばれた子」

 トリイは書き手、シーラは演じ手。

 未だ途中だが「タイガーと呼ばれた子」、「シーラという子」の続編の最中、再会してのちドライブのシーンで、君らは要するに前世で付き合っていたんでしょ!と突っ込みたくなるようなシーンがあった。

知らないほうがわかっていて、知ってるほうがわかってないように世界を逆さまにする才能って、どんな才能なんだろ」byシーラ。

21:54 2019/01/27
 ほんとうに、シーラは知的。
 予約した続編である「タイガーと呼ばれた子」を受け取るまでの間、発達障害についてのスレッドをまとめたもの、を読んでいた。
 発達障害と、統合失調症は、わたしには興味がありすぎること。
 そんなことを言えば皆だれだって、わたしだって、発達障害じゃないか、統合失調症じゃないか、ただ程度差というのにすぎないじゃないか、と思う。

 なぜ地球は、地球だけじゃないのかもしれないが、こんなふうなんだろう?と思う。
 
 金星人の話をまえに、したね。
 そのひとは、ほんとうに、金星からやってきて、事故かなんかで死んだ子供と入れ替わったのだ。
 ま、この、ほんとうに、というのは実に何ていうか、
 嘘だってわけじゃないが、嘘とかほんとうとかいうのは、
 うーん、要するに受け取り手による任意なんだものな。

 で、その金星人のひとには、あたりまえだが金星人の父親と母親がいて、母親は自分を産むときに、お産に耐えられなくて死ぬの。
 父親は、つまり最愛の妻を産褥によって亡くした夫は、どうしても娘である彼女のことが受け容れられなくて苦しむ。
 とかいう、背景があって、
 なんだそりゃ、まじか、とわたしはひどく驚いた。
 ずいぶん進んだ文明だというわりに、ひどく遅延した自他関係じゃないか。
 
 なんていうか、ブッダ現代日本に生まれ変わってきたけど失敗した、という話を聞いたときのような失望にも似ている。
 
 シーラがこうまで知的であり、聡明であり、ナイフのように鋭い感受性を持っているにもかかわらず、なぜ、
 母親との出来事をこうも消化できないのか、ということが、このミステリにおける最大の謎解きの一つだった。
 わたしはね。


 知的であるか、聡明であるか、ナイフのような鋭い感受性を持っているかどうか、ということは関係がないんだ。
 そうじゃない。
 ただ、シーラはほんとうに愛情深かったんだ、と思う。

 その愛情深さを、知的であることがむしろ邪魔をした。

 わたしは、わたしたちはトリイの目を通したシーラしか知らない。
 トリイもまた実に知的だし、自他の区別はついているし、それでいて実に人間的だし、
 いやともかくトリイもまた実に知的であるがゆえに、
 なんていうか、ただただ、その愛情、
 その、愛情深さゆえに陥る罠というべきものについてだけが、クローズアップされがちだ、というふうに思う。
 親をも含めた、他者に対する愛情深さがね。
 
 続編については冗長だった、
 冗長だったが、最後の最後において、あの、カリフォルニアまで
 カリフォルニアだったっけ、なんか北の方らしきアメリカ、
 トリイがシーラを迎えにいくから、そこにいて、と電話を切って、
 でも、カリフォルニアまでいくには、飛行機のエコノミーはすでに満席で、翌日の昼の便しかない、そんなにシーラを待たせておけ ないのに、と取り乱していると、
 そのとき付き合っていた彼が、ファーストクラスに空き席があるのなら、それでいけばいい、という。
 そのお金は自分が持つよ。
 だって、シーラはすごくいい子なんだろ?
 君はそう言っていたよね。
 人生において遣うべきときに少しくらいお金を遣うことがいったい何だって言うんだろう?
 
 と、いうの。
 素敵だった。
 トリイは彼と結婚したのかな?
 どうでもいいけど。

 うん、そんで、飛行機で迎えに行って、帰りはレンタカーだ。
 そのレンタカーで帰る道中に交わした会話、
 シーラが、
「自分の問題とは、空を飛んで避けるわけにも、地中に潜って避けるわけにも、まわりこんで避けるってわけにも、行かないんだって思ったの。
 なら、そこを通り抜けてゆくしかないのだと」
 ってとこでまた、滂沱の涙。

 最後の、マクドナルドで働くよってのも、トリイは嘆いていたけど、わたしからすれば、納得のゆく成り行きだった。
 でもわたしがもしトリイなら同じように嘆いてしまうかもしれない。
 そしてわたしがシーラなら、同じように自分の将来を嘆くトリイに対して微笑んでしまうと思う。
 
 そう、そうアレホは知恵遅れなんかじゃない、だれもアレホのわかる言葉でしゃべっていないのに、自分たちにはわからない言葉しか知らないからってなぜ彼をそうだと決め付けるの、っていうシーラの憤り、
 それからアレホの親が一度は引き取ったのに、彼の障害ゆえに彼をもう一度施設へ返却しようとしている、ということに気持ちがたまりかねて、矢も盾もなくアレホを連れ出してしまい、二日後トリイの家へ帰ったシーラ、
 トリイはアレホを、「さあ、いらっしゃい」と眠らせる。
 シーラには、なぜこんなことを、と問い詰めかける。そこでシーラが、わたしにも休息を、という。
 わたしにも、アレホに言ったみたいに言って。
 さあ、いらっしゃい、と言ってわたしを寝床へと優しく誘って、お願いだから。
 

 ほんとうに彼女の、シーラの魅力とは彼女の知的精神にある。
 聡明さにある。
 と、わたしは思う。
 聡明さゆえに彼女はほんとうに冷淡であり、愛情深さゆえにほんとうに勇敢だった。

 わたしはシーラの魅力に取り付かれているから、次にはシェイクスピアの「アントニークレオパトラ」を読もうと思うもん。
 


 わたしはさ、
 なぜ結婚しないんだろうとか、
 なぜ人がわたしに寄せる気持ちに寄り添えないのだろうとか、
 そういうことを、シーラみたいに、自分は不幸になる選択しかできないから、とかいうつもりはない。

 そうじゃない、むしろ、トリイが言っていたみたいに、わたしにはまだその準備が整っていない、というのが近い。
 しかもその準備とは今世には整わないかもしれない。
 
 シーラのどうしようもない、どうしようもなく哀れで痛ましくて無自覚な、父親が、トリイに言うんだよね、
 シーラは、やりたいときにやりたいことを、やりたいだけやる、誰にもそれを止めることはできない、われわれはただ彼女が帰ってくるのを待つことしか出来ないのだと。
 彼は、父親は、娘シーラのことをディスったつもりなのだろうか?
 わたしには彼から娘へ送った、最大の賛辞に聞こえる。

 生き生きとしたシーラ。
 そう、実際のところ彼女は実に生き生きとして闊達だ。
 誰が六歳のときに三歳の子に火をつけたりする?
 彼女は何も躊躇わない。
 彼女の父がいみじくもまったく正確に、的確に言い表した姿が、彼女なのだ。
 
 シーラにだってもちろん欠点がある。
 盲点がある。
 わたしがあの子に火をつけさえしなければ、あの子を殺したいなんて思わなければ、おかあさんは、わたしを捨てなかったの?
 というシーラに、
 いいえ、時系列的に、おかあさんがあなたを置き去りにしたあとに、したからこそ、あなたは男の子に火をかけたのよ、違うわよ、
と冷静に処するトリイ!


 時系列的に、とは!

 ねえ、お母さん、聞いて。とシーラ。
 いいえ、わたしはあなたのお母さんじゃないわ、という、トリイ。
 まったく。

 まったく、だよね。

 

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