バランスを取る。

 昨日はお金を貸してほしいと言われた友人と電話で話しこんでしまった。
 わたしが、

 わたしはビジネスに興味がある、
 皆がビジネスにもっと関心をもったほうがいいと思う、というと、
 起業したいの、と聞かれ、
 いや、先のことはわからないけど今、ともかく起業したい、みたいなことではなく、
 そうじゃなくてさ、
「自分の収入をいかに遣うかということさえもビジネスだってこと」

 翌朝起きても強烈に覚えていた。(自分の発言を)
 自分で言い放って、自分で目の覚めるような思いがあった。
 会話からぽんと飛び出す名言、ひらめき。すばらしい。
 書くことはすばらしいけど、やっぱり人と会話することもすばらしい。

 斎藤一人の「お金の真理」を思い出した。
 こうすれば誰だってお金持ちになれますよ、主婦だって同じですよっていう、すばらしい主張があるのだが、
 そう、お金持ちになる問題・課題、という言い方もできるし、
 誰しもがビジネスマンであるのだし、
 ここを、斎藤一人さんは、だれだって商売人なのっていう言い方をしていたが。
 
 そう、
 売る・買う問題っていうのは、たしかに妙な魅力があって惹きつけられてしまう。
 
 闇金ウシジマ君の元ホスト編だったと思うが、
 闇金なんてやめてしまえよという、かつてのホスト仲間のせりふに、
 闇金っていうのは社会から信用をなくしてしまった人たちの最後の砦なんだって元ホストの闇金社員が答えていた。
 やけにロマンチストだね。
 いや、最後の砦、そうだと思う、でもちょっと美しすぎる

 謎多きウシジマ社長の幼少時をからめて描いた、ほとんどファンサービスみたいな何編だったか、ホスト編よりもうちょい前のやつ、
 幼馴染の竹本君の最後(途中かもしれないが)を思い、見開きを使って涙は見せずに顔を覆うウシジマ君とかね。
 もう、作者の方がロマンチストなんだと思うよね。
 
 美しすぎる、で思い出すのは、画家ロートレックの手紙の一節、
 女のひとが美しいのは、…
 超ごめん途中忘れた。
 もしそうだとすると、美しすぎる。
 ということをいっていて、なんだか納得したのも思い出したんですが、
 すごい中途半端で曖昧で何がなんだかわからないよな。
 いや、わたし、ロートレックは好きなのです。
 うん、だからなんだって言われたら困ります。

 発達障害の本を読んでいると、まださわりだけど、視覚優位のひとと、聴覚優位のひとがいる、という分け方をしていて、
 おそらくわたしは、聴覚優位なんだと思った。
 でも、絵を描くことは子どものころから得意だった。
 それは単に対象物をよく見る、ということだけで成しうる絵の上手さというか、
 字でもそうだ、字がうまいっていうのは、マネをするのが上手いってことだ。
 書家としてやっていく、とかまでなると、そうではないと思う。
 わたしも字は習っていて上手だったけど、今は褒められないね。

 殴り書きだなんだって貶されて、下手だとさえ言われたりする、馬鹿め。
 ひとが見て上手と思う字を書きたいとは、ちょっとくらいは思うけど面倒臭いが勝ってしまう。
 そういうとこだから、ばかなわたし。

 ともかく、絵を描くことはひとよりも上手だった、
 自慢だけど、小学校一年か二年かで動物園へ写実会、まあお絵かきをしに行ったときも、子どもの描いた絵とは思えないと担任の先生に言われた。
 それだけ写実的だった。
 わたしからすればそれは対象物をよく観察した、というだけ。
 それで高校も美術系、大学も美術系へと進んだ。
 でも、ほんとうはずっと知っていた、それが二番目であることを。
 たぶん、自分なりにバランスを取っていたんだろうなあと今なら思う。
    
 家具を、わたしは自分で作る。
 家にあるもので自作したものではない家具は、ベッドとソファくらい。
 それで家に招いたひとに、是非家具職人になればいい、絶対に売れる、何なら自分にも作ってほしい、と言われたことがある。
 自分でも、なんでそこで尻込みするというか、出し渋るというか、謎だとつくづく思うんだけど、
 それは出来ない、と感じた。
 自分が作りたいものを自分が作る。
 それだけでいい。
 とどこか、そんなふうに思ってしまう自分を苦々しく感じつつ、こういうところだよなあと。

 だから、なにかで読んだが、「売りたいものより売れるものを売れ」とかさ。
 いや、仰るとおり、と思う。
 まさに、そのとおり、なんだよな。

 どこかで、自分が作りたいものを自分が作るだけ、ということにわたしは飽き飽きする必要がある。

 ああ、商売人になりたい、そうでありたい。
 夢を追うだけの人、ではなく夢を提供できる人でありたい。

 我だよね、ようするに。
 我が勝っちゃう。
 別にいいんだけど、
 両極端なものの中にわたしはいる。
 それはおそらく自分なりにバランスを取っているのだという気がしてならない。
 
 わたしはさ、たぶん自分には自信がある。
 いやたぶんじゃないしって総ツッコミされそうな、かと思えばそれはむしろ逆なんだとかもっともらしく言い聞かせてくるひとがいたりとか、
 そのどれでもないよ、と言いたいんだけど別に言うまでもない、というか、
 なんだ、
 つまり、わたしは自分には自信があるほうだと思っているが、まわりには、自分に自信がないひとっていうのが、いたりする。
 自分に自信がないっていうのは、思えば不思議で奇妙なことだ。
 そんなで生きていけるのは奇跡に近い。
 そう思うと、自信がないとかいうひと、思っているひとっていうのは自分の師匠なのではないかという気さえしてくる。
   
 どんどん、書くことのすばらしさ、を享受してゆくと、
 昔からの友人で、わたしを恵まれているから、と言ったひとがいる。
 いやもう、こんなに座りの悪い思いってものは、ない。
 戸惑い、疑い、要するに、相手を馬っ鹿だなと思った。
 ほんとうに馬鹿だなと思った。
 そうじゃないよって。

 でもそれをどう伝えれば伝わるのか。

 わたしは、フラットなのが好きで、それ以外を認める気はない。
 そうじゃないなんて認めない。
 
 でも、ゲームには興味がある。
 そして、ビジネスにも確かに興味がある。

 一言でいえば、世の中は平等なのか、不平等なのか。

 これに答えることは実に難しい。

 実に難しいんだけど、
 結論から言えば、平等だってわたしは思っている。


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