謎が残る、のは素晴らしいこと。
UFOが見えた話っていうのはおもしろくて、本当にそうなのかどうなのか、ということを確かめるすべはない。
こんなことはUFOに限った話だけじゃないが。
クオリアにも通ずるような、個人的というか主観的な話で、
他人が納得しなければ真実ではない、とかいう定義など馬鹿げている以前に存在しえない、みたいなことでもある。
他人が納得しようがしまいが、認めようが認めまいが、あなたにとっての真実は、ただ存在する。
それにもっといえば、自分でもあれは何だったんだろうって、それが飛行機ではない、ということは断言できてもじゃあ何だっていうと、なんだかわからないもの、UFOとよぶしかないもので、
錯覚かもしれない、幻視かもしれない、
そうじゃないのかもしれない、要するに何もわからない。
わたしにはそれを錯覚だと断定するだけの証拠の持ち合わせがない。
ここでそれは錯覚だ、と断定するひとがいることにわたしはむしろ驚愕する。
恐れおののく、と言ってもいい。
そのあまりの愚かしさ、傲慢さゆえに。
数学の、不完全性定理を思い出す。
ゲーテ、みたいな名前のひと。
なにものも、それ自身によってそれ自身が正しいということを証明するのは不可能だ。
みたいな話。
これは、超意訳だけど、真実は瞬間の檻の中にしかいない、ということ。
真実は、瞬間Aと瞬間Bをまたぐってことはできない。
違う表現をすれば、真実を証明なんてする必要はただ、ただ、ないのだ、ということ。
それで、わたしは思うに、あれは気の迷いとか錯覚とかではなくて、UFOってことにしておくのがいいな、という気持ちがある。
だってそのほうが謎が残るじゃない?
謎が残るっていうのは本当に素晴らしいことだ。
先ほどのゲーテみたいな名前のひとは、クルト・ゲーデル。
わたしはこのひと、なんか好きなんだ。
アインシュタインがあの世界大戦のゴタゴタ時に、ゲーデルのアメリカへの「亡命」だか「移民」の手伝いをしたときに、あまりにゲーデルが「世智に長けていない(馬鹿正直な)」ので、まごまごしたっていう逸話とかを聞くに、ああ、ああ、例のあれでしょ、と思ったりする。
いわゆる自閉症・発達障害・統合失調症・純粋みたいな何か。
「第一不完全性定理…自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が(何言ってんだ?)ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。
第二不完全性定理…自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。」
わたしは言葉には堪能な方だが(日本語に限る)、これは正直言って何を言っているのかまったくわからない。