夢、とか。
「善人は、ちょっと正しいことを言われたら、あきらめて引っ込む、
ところが悪人は、自分がいかに正しいかを説得するのが上手い」
今朝、はっきりと今ここへと戻る前、目覚める前の半覚醒のような状態でそんな文章を読む。
その内容に、ん?と違和感を覚えて急速に眠りから覚めてしまった。
横道にそれるようだけど、わたしはずっと夢の中で本が読めない、字が読めないということを苦にするというと大袈裟だが、なんでなんだろうって謎だった。
よくいわれる、御馳走を食べようとしたら目が覚める、みたいな感覚とも似ているのかもしれないけど。
それで、もうずいぶん前から、字は読めるようになった。
あれっわたし、夢の中で字が読めていたぞ、と起きてから夢を思い出せる。
もっと横道にそれるようだが、子どものころ、寝ているときに尿意を覚え、トイレでおしっこをしたと思ったら実際に布団の中でやっちゃっている、という経験をしたことがある。
それから、成長して、夢の中でおしっこをしても実際にはしていない、という経験もした。
成長して、というけどいったい何がどうなって、いわば身体をコントロールできるようになったのか、夢のなかでトイレへいって実際に用を足しても、現実には足していない、ということになったのか、
そのからくりはわからない。
夢は不思議だ。
そして夢には隠された何かがある、絶対にある。
寝ている間にあの世というか、この世ではないところへ、魂は休息しに行っている、という話がわたしは好きだ。
この世っていうのは、つまり、「自分」が現実とはこう、と認識している世界のことだ。
覚醒夢とか、あるですやん。
わたしにはあれは不思議すぎる。
わたしには無理すぎる。
そういうことができる(夢を見ながら夢を見ていると自覚し、まるで起きているときのように、むしろそれ以上に自由自在に振舞える)、と言っているひとを嘘つき呼ばわりするつもりは微塵もないが、自分には無理を通り越してもはやそれが可能になるのを願う気持ちが、要するにまるでないというか。
幽霊見えるとかもそうだな。
たしかに、絶対に、見えているんだと思う。
でもじゃあ、わたしにもそれが見えたいか、というと、いや、待ってちょっとよく考えさせて(見たくないのかよ)、てなる。
夢を見ているときに、自分がいま夢を見ているのだとは思っていないし、
夢を見ているときは、受動的というか、
たいへんだ!と思って慌てたり、なんとか回避しようとしたりとか、
決してなにも感じずなにも行動しないわけじゃないが、要するに起こる出来事に対してただ受け身の姿勢で反応しているだけ、という感じになる。
ん?待てよ、そもそもいったいどうして、とかこんなことありうるのか、とはならないというか。
つまり、考えない。
考え出すと、起きちゃうんだよ。
戻ると、今朝もそういうことだった。
「善人は、ちょっと正しいことを言われたら、あきらめて引っ込む。
ところが悪人は、自分がいかに正しいかを説得するのが上手い」
ん?善人って?悪人って?なにそれどういうこと?
あなたのいう善人ってどういう定義?
みたいな、ことを疑問に思って考え出すと、目が覚めちゃう。
それはたしかに、本だった、わたしは本を読んでいたのだ。
でも起きて思い返してみるとそれは、頭の中に響く声のようでもあり、
もっといえば自分の声のような気もしてくる。
それでふと、これは、こういうのが内なる声とか白い玉とか高次の自分とかいうやつってこと?
と思った。
ともかく夢を見ているときっていうのは「顕在意識」は引っ込んでいる、それこそお寝みしているわけだ。
だから、顕在意識のフレームにはない言葉が、夢ではぽんと飛び出すってことはありうる。
結局どういうことかといえば、
潜在意識が語りかけてくることに対して、顕在意識が何それ理解したい、と刺激されると覚醒してしまう。
そしてこの場合の覚醒とは、実際のところ、そうしてまた眠りにつく――のにも等しい。
「そして誰もが間違った相手とおやすみのキスをする」というアンディ・ウォーホルの言葉を思い出すようだ。
それでようやく、その、夢で読んだ一節についてだけど、
わたしは「正しい」が苦手で、正義を標榜するくらいなら悪人を気取っている方がマシだというような、
照れとも萎縮とも怒りともつかないような思いをいまだ持っている。
正しいは停滞、悪いは躍進ともいうべき。
だから、この声の源はようするに自分なのでは?という気もした。
「ところが、悪人は、自分がいかに正しいかを説得するのが上手い」
極論をいえば、ビジネスとはセールスだっていう話を読んで、まったく釘付けになっていた。
いやもう、そうだ、そうなんだった。
なんかほんとに今さらだけど。
何が善で何が悪かを、どうやって決めるのか、そもそも決めたからなんだって言うんだよ、と思っていた。
でも、なんだかこうして生きている間に、世の中は善人であふれかえって、まるで身動きも取れないようになっているんだなあ、という遣る瀬ないような気持ちがしてきた。
それで、善っていうのは実はむしろ悪なのではないか、と思ったりすることがたびたびあった。
言葉は何も言い表さない。
「知らないほうがわかっていて、知っているほうがわかってないように世界を逆さまにする才能って、どんな才能なんだろ」うね。