トリイ・ヘイデン、または「美しさとはかえりみないこと」について。
ラドブルック。
それは「愛されない子」で問題を抱えた子供の母親として登場する。
ラドブルック。
まるでブルドッグを麗しく表現してみたような、どことなくちぐはぐで滑稽さのある響き。
トリイが描写する彼女のことを、嫌いになれる人間なんているだろうか、という気がする。
いや、もちろん、いないとは限らない。
わたしが今でも心に残っているのは、「よその子」で、あの男の子が、自らの悲嘆に実に集中してひたっていたとき、皆おれのこと嫌いなんだ、と頑なになっているとき、トリイにロリの名前を出されて、ロリはあなたのことを嫌っていないでしょ?あなたもロリのことを嫌いじゃないでしょ?
と問われて、ほとんど諦めたかのように力なく、
「ロリのことを嫌いになれるやつなんていないよ。そうだろ?たとえそうしたいと切実に願ったとしてもさ」
というこのセリフがわたしは大好きだ。
まったく胸を切なくさせる。
トリイはまだたった六歳か七歳の、識字障害を抱えた少女であるロリのことを、
「わたしはたまに本当にロリの精神を詰め込んだ瓶を精神安定剤代わりに持ち歩けたら、どんなにいいだろうかと思う」と言っている。
ロリは、自閉症の少年ブーを見て、びっくりして、
「あの子って変わっているね。でも、それでもいいよね。わたしだって変わっているところあるもの」と言うんだ。
ロリは天使のようというよりも、むしろ、驚くほど成熟した精神の持ち主だ。
わたしは本当に情に深い人間なのだと、実は思っている。
それはほとんど、非常識なまでに、そうなのだと。
非常識なまでに、非現実的なまでに。
わたしのことを実に醒めている、というひとが一定数いる。
まったくの初対面で、会話したことすらないのに、たった一目見て、そんなふうに言うひともいる。
「自分(関西ではあなた、の意)、何もかもどうでもいいって思っているんでしょ?わかるよ。そういうの、嫌いじゃないよ」とまるで感動したかのように言ってきたひともいる。
わたしはそういうとき、なんて見当はずれなことを言うんだろう?とは思わない。
実際、彼の言わんとすることはわからないでもない、と思っている。
彼はわたしの姿を、目に見える姿かたちではなく、なんていうか性質ともいうべき目には見えない真意の欠片を、端的に見抜いてはいるのだ、と思う。
わたしは実際のところ、自分に備わった情の篤さを、自分でもどう扱っていいのか、どう表現すべきなのか、いまだにちゃんとわかっていないんだと思う。
そのせいで、不器用に見える、なんて決してわたしを高揚させはしない形容を頂戴することもある。
わたしは物心がついた頃から、自分の感情をあからさまにする、ということに対して羞恥心を抱くようになった。
誰にも自分が本当に感じていることを、見透かされたくはない、という断固たる思いがあった。
そしてそれがなぜなのか、というと、思い当たることはいくらでもあれ、決定的にこうだ、という答えは見つけ出せずにいた。
なんていうかそれは一つ言えば、謎が残るって素晴らしいことだよね、という気持ちに通ずるものなのかもしれない。
ある人はわたしを、まったく地に足のついていない夢見がちなひと、と言い、
またある人はわたしのことを、リアリストすぎる、夢がなさすぎる、と評する。
ドナルド・トランプが著したものをいくつか読んで、
すごくよくわかるんだよ、と思う。
あなたがいったい何をひとに教えたいのか、その情熱の源が何であるのか、わたしにはとてもよくわかる。
そしてふいに、その情熱が何でもないものに思えてくる。
つまり、わたしにも彼と似たような情熱があった。
その情熱を、情熱のままにストレートにではないが、他人に訴えかけることに腐心していたのだと、つくづくと、つぶさに感じることができた。
わたしは彼の情熱に接して、ようやく、
ここにもわたしと同じようにひりひりとした、切羽詰まった情熱を感じ続けているひとがいることを知り、
なんかそれで満足しちゃうというか、気が済むというか。
ああ、そうか、わたしはわたしの問題、わたしはわたしの課題とだけ真摯に向き合うべきなんじゃないかな、と安らかな気持ちで思えたのだ。
ラドブルックは美しいのだとトリイはいう。トリイだけじゃない。
トリイがほとんど嫉妬のようにラドブルックの美しさ、強靭さをいまいましく思うところは、個人的にはちょっと微笑ましいほどに人間臭くって、好きだ。
そこの記述を読んで思うのは、美しさとは省みないこと、なんじゃないかなと。
ラドブルックは誰が見ても否定しようのない圧倒的な美しさを身に備えながら、美しいなんて何でもないことだわ、という。
それはあなたがほとんど誰から見ても美しいと称賛されるから、あなたは美しさをすでに手に入れているからこそ、そんなふうに傲慢なまでに、何でもないことだと言えるのだ、と言うこともできる。
でもさ。
でも、なんていうか、そういうのって、どこからどう見ても、美しい発想とは言えない。
美しさとは、妬みではない。
美しさとは、自己卑下からは生まれえない。
美しさって、そんなこと何でもないことだわ、ということから生まれるんじゃないかな。
美しさって、そんなことあたりまえだわ、という態度から本当にはじめて、生き生きとした躍動感をもって、圧倒的な輝かしさで周囲を照らすのではないかな。
美しさとは、何物をもかえりみないことから生まれるんだという気がする。
つまりそこには、罪悪感とか、劣等感とか、気が退けるとかいう精神は存在しないんだ、という意味において。
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