「死を理解する」という、いつ覚めるとも知れない悪夢は、まだ世の人を蹂躙するだけ。
冤罪で死刑になってしまった青年の話を読んだ。
墓碑の写真があり、生まれた年を例によって足してゆくと、33だった。
彼には知的障害があり、言われるがままに「罪を認め」ることが「死刑」に結びつくという考えがなかった。
死ぬってことも「わからなかった」。
「僕は死なないよ」と言い、死刑直前までおもちゃでご機嫌に遊んでいた。
「世界一幸せ(そう)な死刑囚」というタイトルのせいで、
冤罪で死刑になってしまうことが幸せなわけないじゃん、胸糞悪い、純粋無垢なものを殺してしまった罪悪感を消したいだけ、なんていうコメントがのびていた。
さあ、まず幸せってなんだろうか。
彼がいかにも楽しそうに、無邪気に、「死を理解する」こともせずに、遊んでいる様子をつかまえて、
「なんて不幸なんだろう」「なんて憐れなんだろう」という反応をさせるものって、
いったい何なんだろう、と思う。
死を理解する、ってそもそも、どういうことなんだろう?
僕は死なないよ、という発言はわたしからすれば、知能指数なんかでは推し量れない、賢者の威厳を感じさせるものだ。
そのとおりだ、たしかに彼は死なない。
それはいまもこうして彼の「悲劇」が語り継がれているから、というだけじゃない。
そんなことじゃないんだ。
もどかしさとともに、ふと気づくことがある。
わたし自身こうしたことに類する経験をこれまで何度もしてきていた、と思い出す。
いろんなやり方がある、それこそ幾億とおりものやり方が。
わたしは知的障害という道を選ばなかったが、彼はそうした。
彼にはとても断固としたところがある、とわたしは感じる。
彼は「知的障害」を選んだし、「無実の罪」も選んだし、「罪なき罪によって死刑に処せられる」ということをも、ただ選んだ。
確かになかなかそうは見えない。
わたしは語ることによって伝える能力を持っていきたかった。
なのに、それをまるでほとんど駆使できていない自分に、焦燥にも似た気持ちを徐々に募らせている。
いまこの瞬間も。
ドナルド・トランプとロバート・キヨサキの共著の本を読んでいると、わたしたちは共に教師だ、という言葉が何度か出てくる。
それで思い出すのは、
わたしは教師になりたいんだ、と当時一緒に住んでいた人と毎夜毎夜二人でワインを飲み明かしながら語っていたある時期に、思いがけず強い気持ちで宣言したこと。
本当に?と思った。
いったいまたなんで?
わたしはむしろ、教師ほど胡散臭いものはないと心のどこかで感じ続けていたのだ。
でも、教えることは学ぶことなんだと、あるときにはっきりと気づいた。
教えるっていうことは、決して一方的な流れではない。
そこには相互に通い合う成長の渦があり流れがある。
自分自身が新たに学ぶことはない教え、
教え子に教えることによってさらに深まる自分の学びがないなら、教師としての機能を本当に果たしているとは言えない。
親と子の関係だってそうだ。
親は子から学ぶ。
そうじゃなきゃ、子を持った意味がない。
子から学ばないのなら、子と共に教え/学びの関係を築けないのなら、
子から享受しうる恩恵を存分に受け取っているとはとても言い難い。
子を持って幸せだっていうのは、子から学ぶチャンスを与えられて幸せなんだ、
これで子供が老後の世話をしてくれるだろうとか、自分の遺伝子を絶やさずに済んだとか、この少子化社会に貢献したとか、そういうことじゃない。
もちろん、親子に限らない。
なんだってそう、なんだ。
よくあるじゃん、先に進んでいる子が算数ドリルとか、なんでもいいけど、まだよくわからない、できないって子に教えてあげようとして、
自分としてはいつクリアしたのか、どうやってクリアしたのかも覚えていないような初歩的な質問、根本的でさえある質問をされて、はたと答えに窮してしまう、というようなことが。
こんな簡単なこともわからないなんて馬鹿だなこいつ、じゃないんだよ。
いや、わたしもよくやってしまうわけですが。
それにそうしたことは確かに簡単に「笑い」という絶妙に魅力的なものにもなってしまって、それに抗う方がむしろ馬鹿みたいに思えるってことも、ある。でも、
ひとは、ひとに教えようとしていかに自分が何も知らないか、ということに気づく。
気づく、んだよ。
気づかなきゃ、学ばなきゃ、教えるって行為はただただ無為に帰するだけ。
ともかく、彼が演じたかったのは「悲劇」なんかではなかった。
わたしはそうだと思う。
彼は不幸ではないし、憐れでもない。
彼には晴らすべき罪なんてそもそもない。
彼は実際に誰も殺していないから、じゃない。
はじめからこの世には罪なんて存在しないのだから。
そういうことを、表現しに、来たのではないかな。