母親は孤立しうる、だからわたしは、母親という立場への同情を禁じ得ない。

 物語に惹きつけられる。

 要するにすべては物語なんだ、というほどに。

 わたしは実際のところものすごく冷静な、醒めた人間で、
 たとえばそれはどういうところかと言うと、小学生のころふと、お母さんが同級生の一人だったら、どんなふうな関係なんだろうな?
 もしかすると、口もきいたことがないような疎遠な関係かもしれないぞ、と想像してみたりしたところ。

 この話は誰にしてみてもあんまり共感されたことがない。


 補足するとわたしも母親もどちらかというと、よっぽどな場合をのぞいて、自分から相手に関わろうとする、という積極性がない。
 もちろん大人になればなるほど、そうではなくなる。
 わたしたちは共にそうだった。
 
 というのは、なぜか強烈に覚えているのが、家族でガソリンスタンドへ寄り、わたしがトイレを借りたくて、トイレの場所を店員さんに訊ね、無事トイレを済ませて車へ戻ると、
 あんたはどうしてそんなにツンと澄ました態度を(店員さんに対して)取るの、と可笑しそうに揶揄するように母親に言われたこと。
 もちろんわたしからすれば、あえてツンと澄まして見せた、なんて自覚はなかったという驚きでもあるが、
 もっと言えば、
 まさかよりにもよって、お母さんにそんなことを言われるなんて、まったく心外でしかない、という気持ちでもあった。
 そんなことを言うなら、あなただって随分ツンとしてきたと思いますよ、ということにあらためて気づいた、というか。
 あなただって昔はそうだったでしょ、ということが、なんていうか、そのやりとり、その醸し出される空気感のうちに、わかってしまったのだ。
 このわかってしまった、という知覚は不思議だ。
 それは洞察などというものではない。
 お母さんの揶揄するような口吻から、洩れ出るように否応もなくこちらへと伝わってしまったのだ、という他はない感じだ。
 
 ともかくわたしには醒めた目、近視眼的なものよりも俯瞰した目、を好むところがあって、
 それはもう、だってその方が見晴らしがいい、そしてわたしは見晴らしの良いほうが好き、ということに尽きるんだけど、
 
 それでも、他人の創った物語に没頭する、ということは、経験しえた。 
 むしろ、そうした経験を通じてはじめて、近視眼的な物の見方の良さ、というものを獲得できた。
 
 そして、そうしたことって要するに、皆そうなんじゃないかな、という気がする。
 
 もう適当な例えは思いもつかないけど、
 何それ信じられない、嘘でしょ、ありえないでしょっていう話についても、
 よくよく相手の身になってみれば、なるほど、と思えることもあるでしょう。
 なるほどなあ、を通り越して、自分の身に起きたことでもないのに、なにそれ許せない、悲しい、腹が立つ、あなた黙っていることなんてないよ、あなたが黙っていたってわたしが代わりに声をあげる、という激しい気持ちさえ抱きうる、ということがある。
 その、よくよく相手の身になってみれば、
 というところが要は、「物語」の果たす役割だと思う。
 
 最近とりあげた例なら、
 知的障害の、犯してもいない罪ゆえに処刑された彼。
 この事件そのものは1900年代前半のことだから、時代が違うってこともある。
 アメリカで起きたことだから、国が違うってことでもある。
 よその国の遠い過去に起きた事件で、
 だからこそ簡単に、彼の置かれた状況に感情移入しやすいということは絶対にある。

 誰もが、「知的障害であること」を自分では選択せず、1900年代はじめにアメリカにて生まれたということがどういうことかを身近に自分のことのように感じ取ることもなく、それだからこそ、
 抽象的に、抽象度を上げることによって、
 感情移入し得る。

 最近日本で起きた事件なら、シングルマザーで、彼氏と同棲して、子どもを虐待して、なんていうのがある。
 わたしはこういうものは本当に、時代が下れば、
 この子どもを虐待してしまった母親に対しても、同情が集まるんじゃないか、と思っている。

 別に同情する必要はないんだけど、少なくとも、すべて母親が悪いっていうふうに悪者としてだけ、まつりあげられるってことは、なくなるだろうと思っている。

 要するに、誰が悪者で、誰が犠牲者かっていう、そうした物の捉え方というのは、
 すたれていく。

 もうそれは、すたれてゆく、必ず。

 そもそも、「必ずや悪」であるはずの「誰か」を求める発想って実に乳臭いじゃないか?

 

 女であればだいたい誰もが母親になりうる、という状況において、
 母親になるべきではなかった、母親としてありえない、母親失格だ、
 なんて後出しで非難されている姿を見るのは、わたしはなんとも言えない気持ちになる。

 誰だって、その母親、でありえたかもしれない状況なのだとしか思えないんだ。
 ああ、もう、わたしはそうじゃない、なんて言わないでね。お願いだから。
 わたしだってそう言いたいのはやまやまだという気持ちをどこかで抱いているのだから。
 でももしかしたら、非難される母親はわたしだったかもしれない状況もありうる、という凍りつくような思いが、わたしを寸でのところで引き止めているだけ。

 

 十四歳(十六歳だったかも?)のシーラが、知的障害を抱えた、里親に引き取られた男の子を誘拐する。
 その里親が、引き取った子どもは自分たちの望むような子どもではなかったのではないか、と一度は引き受けた里親の立場を放棄して、ごみ箱に捨てられていた彼をまたごみ箱に戻すかもしれない、という話を聞いて、
 矢も楯もたまらず、そんなことはさせられないという衝動にまかせて、
 その子を里親の元から、連れだしてしまう。


 一昼夜、あるいはさらにもう一晩、その子どもと共に過ごした挙句、シーラはその子を連れてトリイ(シーラの元・先生であり、その男の子の現・先生)のもとへ戻ってくる。
 トリイの庇護を求めて、疲れ切った姿で。

 シーラが連れ出してしまった男の子にはトリイは、疲れたわね、こちらへ来てゆっくりお休みなさいと寝床へ誘う。
 シーラに対しては、なぜこんなことを、と詰問しかける。
 シーラは、その詰問を受けつけず、お願い、わたしにも彼に言ったように言って、という。
 疲れたわね、こちらへきてお休みなさいと、
 言って、お願いだから、
 
 お願いだから彼のように休ませて、彼にしたように労わって、今晩だけでも。


 シーラは彼の里親でもない、まして母親でもない。
 それなのに、そうした立場へと身を置きうる彼女。

 いやむしろ、かつて捨てられた自分と、その男の子を重ね合わせた結果、幼い子どもの保護者として「あるべき姿」「果たすべき役割」を、衝動にまかせて買って出てしまった、というなりゆきだ。
 それは(その男の子と)同じように、ではないが彼女自身が、傷ついた(気づいた)経験を忘れずに覚えているからだ、本当にただそれだけなんだ。


 母親、という立場は孤立しうる。


 母親は孤立しうる、だから、わたしは母親という立場たるものへの同情を禁じ得ない。


 本当によく考えてみて。
 自分の子どもが、はたから見て危機的状況に陥っている、なのに母親たる彼女にはそれがそうだとわからない、という状況が果たして彼女が真に望んだヴィジョンだったと、いったい誰に言えるだろうか。
 
 自分の子が、全身傷まみれで、あるいは病におかされていて、
 明日をも知れないというときに、
 仕事であれ娯楽であれ、子のそばについていてあげられない。
 本当には、子の身になってあげることができない。

 いったい誰がそんなことを望むだろうか。
 そんなことを良しとするだろうか。


 誰も良しとはしない。
 少なくともあなたは良しとはしない、そうならば、
 お願いだから、彼女を責めるのではなくて、一緒に解決する方法を考えてあげて。
 一緒に、どこの誰とも知れない相手の気持ちがわかるようになる、ための手助けを試みてあげてほしい。

 子どもだけを、労わり、寝床へと誘わずに、子どもの身に起きたことを我が事のように重ね合わせてしまった彼女が、意図せずしでかした暴挙をも、労わってあげてほしい。
 だってそれが、最初に「あるべきではない状況」への怒りを感じたあなたの、本当に望むヴィジョンなのだと思うから。
 
 傷ついたものを保護すべきだと思うなら、実際その道はとても険しく、困難にみちている。
 まるでそれは、ラクダが針の穴を通るようなものだ。


 誰だって子どもだった。
 自分は生まれたときから大人で、扶養すべき自分の子どもさえ抱えていてね、というひとなどいないのだ。

 誰だって子どもだった。
 誰だって生まれたときからこの世界を、この世界たらしめるものについて、そうでしかありえないと、ゆるぎなく認識していたわけじゃない。

 生まれてすぐ立って歩き、話し出したひとなんていないでしょう。
 少なくとも、あなたもわたしも、あなたの親もわたしの親も、そうではない。そうでしょう?


 わたしはよく、お母さんが子供だった頃のことを想像してみようとしていた。
 お母さんがお父さんと出会う前のころ、出会った頃のこと、そしてお母さんが子どもを授かり、産もうと歩みだした気持ち、それってどんなだったのだろうと想像してみた。
 お母さんはわたしくらいの歳のころ、たとえば十歳とか?って、どんな女の子だったのだろう?とか。
 
 どんなに想像してみても、追いつかないんだよね。

 
 わたしは、思い出せば笑っちゃいそうなことだが、母親による印象的だった宣言を覚えている。
 お母さんは家事に向かない、洗濯物を畳んでも、洗い物をしても手が荒れてしまうんだから (手伝ってくれなきゃ困る)って、
 その荒れた手を見せてくれた。 
 正直わたしにはその因果関係はわからなかった。
 要するに家事はしたくないんだろう、なにもそのために実際に手を荒らす必要なんてなかったのに、と思ったことを覚えている。

 お母さんは美しかったから、手までも美しい方が、彼女には似合っている、と感じていた。

 お母さんはフルタイムの仕事をしていたから、
 そのせいもある。
 ああ、家にいて主婦みたいなことをするのは、この人の望むヴィジョンには合わないんだろうなあと思った。

 まあ時代もあるよね、いま思えば。


 わたしは自分のお母さんについて、美人だと思っていたが、親しみやすいひとだと感じたことは、子どもの頃には、なかった。

 いまはそうではないが。

 いや、ようするにお母さんってひとは、どことなく子どもが苦手なんだよね。
 いまだってそうだ。 
 わたしは、わたしの弟の子ども、わたしにとっての甥、お母さんにとっての孫、への接し方を見ていてもつくづくそう感じる。
  

 実際わたし自身も子どもはどことなく苦手、なので勝手にお母さんの気持ちを代弁させてもらうと、

 大人ぶること、つまり子どもを自分と対等ではない、目下の存在として扱うことが苦手というか、

 いったい子どもに対してどうふるまえば良いのか、戸惑ってしまう、あるいは照れてしまうのだと思う。

 

 シーラについてはこちら。

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 トリイについては、思い出すたびになんだか笑ってしまうことがあって、

 彼女よく、「余計なことをして」と言われるんだよね。

 シーラにも言われている。

「あんたって本当に仕切りたがり屋だね。自分でそのこと、わかってる?」とかなんとか。

「愛されない子」のラドブルックにおいては、こうだ、

「あなたって本当に誰かに仕切られるってことが苦手ね」と。

 

 わたしは実際のところ、ものすごい仕切りたがり屋であり、

 ものすごく世話焼きなのであり、

 それをずっと何とかこらえようとして生きてきたところがある。

 わたしは今度こそそれをやめる、と決めて生まれてきたはずなのに、というほどの、まだしてもいないことに対する後悔にも似た、気持ちがある。