あなたがほんとうにそうしたい、と思ったことを制止できる人間は、いない。
10:27 2019/04/01
女性の投資家の強み、その一、
わたしたちは「わからない」ということを男性ほど恐れない、とキム・キヨサキがいう。
「わからない」と言える、わかったふりをしない、知ったかぶりをしない、というのはたしかに真に一番手っ取り早く得られる賢さだ。
たとえば「地球は丸い」とか、「死ねば無になる」とか。
いや、地球に関してわたしは「平たい」とか「立方体」だとか主張するわけじゃないが。
「1+1=2」である証明なんてわたしにはできないし、できないっていうか率直にいってあまり。つまり、できない。
死ねば無になる、というのは端的にいって嘘だ。
そういうことを証明するのは誰にとっても完全にただ不可能だ。
自分はそうだと思うことは可能だし、思えばそれが現実になるのも真だ、だが無における現実っていったいそりゃどういう代物なんだろう?わたしにはまったく想像もつかない。
想像もつかないし、どこかそれは滑稽さをともなう。
0:27 2019/04/02
恐れが問題、恐れが鍵だ。
自分がおびやかされていると感じながら、冷静で合理的な判断をするってことは、実際誰にとっても不可能なのだと思う。
それについて自分がおびやかされているように感じるか、感じないか、そこにひとの反応の違いが生まれる。
東日本大震災のとき、放射能にひどく過敏になって、それこそパニック状態ともいうべき不安に襲われていた友人がいる。
いったいこの事態の責任を誰がとってくれるのか、国か、電力会社かということも口走っていた。
わたしはそのほとんど泣きそうなくらい必死なあまり憤ってもいる口調を電話越しに聞き、なんだか、
なんだろうこれ、ともかくものすごく不安にかられているんだなということは、わかった。
誰が責任をとってくれるのかって、さあ、誰だろう、そんな壮大な責任は誰も取れないんじゃないか、とわたしは思った。
たしかにわたしがのほほんとして過ごすうちに、放射能にやられちゃって最悪の場合死ぬとか、
死ぬのならある意味やりなおしがきく(あるいはやりなおすことさえできない)からいいけど、死なないまま苦しむ状態へ陥る、ということが、
この先にもないわけではないかもしれないが、
それにしても、彼女の不安を自分のことのように理解する、ということは困難に思えた。
とはいえ、起きている状況というのは彼女もわたしも共に日本、しかもわりと近所で生活している以上、変わりないとも言えるわけで、
状況が違う、というのは、
物理的な違い、環境の違いではなくてただただ、
自身の内面に起こる心境の違い、というものに過ぎない。
だがたしかに、それこそが「彼女」と「わたし」を分ける最大の隔たりであり、最大の難関だ。
こんなことは今さら思う仮定の話でしかないが、
家が流されて家族や友人、恋人も亡くして、仕事もなくして、自分だけ生きのびたというような、それこそ過酷な状況下ではないからこそ、
おかしな言い回しだが、安心して不安がっていられる、ということはあったのではないか。
とはいえ、とはいえですよ、当時矢も楯もたまらず不安がっている彼女に、「あなたの不安はいわば贅沢からくるのだ」などと言い放つことが、彼女の不安を実質的に解消できたかどうか、と想像すると、
まあ無理だよなあという気がする。
そんなんじゃ全然だめ。
いやこれは、最近にもある。
別の人だけど。
もう亡くなってしまったけど。
末期がんだった。
批判的な気持ちは必ず自分自身を仕留めにくるとわかっていたから、わたしは、「何を思えばいい」のかと、
それこそイエローモンキーの「JAM」という名曲にある歌詞のように、
無能さ、無力さもあらわにただ、立ち尽くすだけだった。
忸怩たる思いなんていうものはない。
わたしは自分がいったい何をしたがっているのかさえ、不意にわからなくなった。
いったい何かをしたいと欲しているのかさえ、願っているのかさえ、自分のなかにその衝動を見出すことができずにただ、傍観者よろしく茫然としていた。
いや、こう言うと、それは嘘だというのはこのことに関わったひとからも言われるだろうし、自分自身としても、百パーセント傍観者を気取れていたかといえばそうではない、ということから、わかる。
自分のできるだけのことはしたいし、自分がそうするべきだ、ということはわかっていた。
そして、そうした。
だからただ茫然自失して立ち尽くしていた、というのはある意味、外側から見ればそうではない。
でもわたしの内面、わたしの内実はただただ、ようするにあっけにとられていた。
実際のところ、ひとは誰しもひとに対して、傍観者でしかありえないのだ。
突き詰めれば自分自身が選択した結果を受け取るのは、決して他者ではありえないということだ。
影響はある。
わたしはわたし自身が望み、願う状態つまり、何も死ぬことはない、
という事態へと彼を誘うべく、影響を及ぼすことができたなら、
とはずっと思っていた。
でも結果からいえば、できなかった。
だって、死んでしまった。
その骨の一片はいま、わたしの手元にある。
そこに無力感あるいは、もっといえば罪悪感があるかと聞かれたら、
ないです。
そんなものはない。
でもいまふと思うに、死を賭して、というとリリカルにすぎるかもしれないが。
死を賭してまで彼は、わたしに、
わたしはそんなものに同情はしない、という決意むしろ覚悟を与えてくれたのではなかったか。
そんなものに、というのは、ひとは誰しもひとを背負うことなどできないのだ、できるというのは数ある幻想のうちの一つにすぎないはずだ、というわたしの感じ続けていた思いに、あるいは捨てきれずにいた迷いに、
彼は終止符を打つべく。
そしてわたしはここから自分へ返ってくる害をも賭して批判的にいうが、
他人まかせの人生はまったく自分への見返りはない。
病床にあって彼は言った、
病院が自分のために尽くしてくれないとはどんな嘆かわしい事態だろうか、というようなことを。
病院が、医師が、言ったことはすべて嘘だった、
抗がん剤治療は毒と同じ、
あなたの言うとおりだった、とわたしに言った。
わたしは実のところそれは毒にも薬にもなるかもしれないけど、身体への負担はものすごく大きい、とだけ言ったのだ。
こうして彼が死んで思うに、最後に見舞いに行ったとき。
もうこうなれば人工肛門もつけてもいいと思った、という。
その手術をしてくださいとお願いしたら、できないと医者に言われた、あなたにはそれに耐えうる体力が今はないと。
できないってどういうことやねんな、と鬼気迫るように言っていた。
わたしは思わず目をそらした。
そらしてから、もう一度彼の目を見た。
まったく今までとは違う目をしている、と思った。
どこか、とても凄惨な。
あると思われていたすべてがぎりぎりまで削ぎ落とされて、いまはまだ存在していること自体が僥倖、あるいは生命の不思議とも感じさせるような、
いったいわたしは彼の何を知っていただろうか、と思わしうる目。
彼は病院で死んだ。
夜中に死んで、明くる朝わたしは病院の地下一階にある霊安室で死んだ彼と対面した。
生きた彼と最後に対面したとき、いろんな管を通されて体力も急激に落ちてしまった状態で、
外へ出たい、こんなところに一秒たりと居たくない、と彼は言った。
出られるよ、たった今、そんな管はすぐにでも外してしまって。
とわたしは言った。
なんなら今すぐわたしと一緒に。
もちろんわたしは一緒に外へ躍り出たとしても、いつまでもあなたと一緒にいるとは言わないけどね。
だってあなたが生きて動いているように、わたしも生きて動いているのだから。
でも、外へ出たい、
誰にそれが止められるというの?
誰にもほんとうには止められやしない。
あなたがほんとうにそうしたい、と思ったことを制止できる人間など、この世にはまるっきり、ただ、存在しない。
それだけだ。