「スカーフェイス」という物語。

事実は小説より奇なり、なんていう。

実際には、小説とは事実を、現実を適宜に抽出することだ。

勝手に登場人物が動き出して、なんていうでしょう、あれはわかる。

整合性っていうのは普通、物語の生む流れに抵抗しなければ自然と出てくるものだ。

物語は面白いよね。

 


昨日、映画「スカーフェイス」を再度観ていたら結局最後まで観てしまって朝だった。

予約していたジムには行けず、仕事の時間に目がさめると同時に職場から電話が。

うん。おはよう、今起きた。

というと相手は笑っていた。

わたしは夢の続きが見たくて二度寝することはよくあるけど、寝起きはいいほうで、母親が言っていたが、まだ幼い頃、のんちゃんおやすみ、というとコトンと寝て、のんちゃん朝やで、というとスッと起きるので実に手がかからなかったと。

 


じゃなくて、スカーフェイスね。

ある意味相当、暴力的な映画だが、あれはなんだか、切なくもあるが可愛いよな。

役者として生きるって素晴らしいな。

職業・役者じゃなくても、誰だって要するに役者ではあるんだけど。

 


ユマ・サーマンもすごくいい。

美人ってこうでなくちゃね、という一つの極地だ。

実に頽廃的で、矛盾するようだが生き生きとしていて、いい。

 


アル・パチーノがチビなんだけどそれがまたいいんだよな。

それがいい、と思わせたらまあ勝ち、というか一つの成功だよね。

 


自閉症は病ではなく、障害ではなく、個性だなんていうが、

いや、たしかに個性でないものなど実のところ、一つとしてない。

すべてはただ単純に個性だ。

 


こういうのが良くてこういうのが悪い、なんていう話を聞いていたらすごく退屈してくるじゃない?

いや、わたしはしてくる。

なるほど、あなたはそういうふうにおもうんだね、と話を聞くけど、あまりにくどいと、面倒くさくなってくる。

どうでもいい。

 


筋トレにはまっているわたしが最近好きなモデルの、エミ・レナータがyoutubeであげていた動画で、

有酸素運動のあとで筋トレがいいの?前がいいの?

という質問に、どっちでもいい、とにかく、して、と答えていたところ、すごく好き。笑っちゃった。

 


どっちでもいいことって、いっぱいあるよな。

ありすぎるくらいだ。

 


物語が好きだ。

小説もそうだが、物語っていうのは、

みんな持っているんだよね。

起きたものごとをありのままに忠実に描き出せばそれは一編の美しく躍動的な、感動的な物語になる。

 


他者をコントロールしようとしない限りはね。

 


つまり、自然と動き出す物語をコントロールしようとしなければそれは、

素晴らしいタペストリーになる。