瞑想体験、それは三百回ひたすら電話をかけ続けること。

 やくざやっている・やっていたおじさんとかになぜか好かれます。
 たぶん、わたし過去にやくざの親分でもやっていたんだろうと思います。
 肚がすわっている、ということが大好物で、自分が何を優先するかのトップ3を下らないのは確か。

 かっこいいってことが好き。
 もちろんこれは、
 かっこいいつもりか知らないけど全然かっこよくないよ問題とかも含みますが、
 まあだから自分としては、そのかっこよさに痺れる、という感覚は人それぞれではあるのだが。

 好みの問題ってことにしておいても、とりあえずはいい。
 デザインでもね、かっこいいのがいい。
 そしてかっこいいっていうのは少しだけ新しいってことでもある。
 新しすぎるのはダメ、と誰かが言っていたのは、わかる。
 で、新しいことは必ず古くなるから、同じかっこよさに居座り続けるのは畢竟かっこ悪いことになる。
 常に今のことを見て、受け容れて、今のことをする。
 このことを繰り返せるのが最強にかっこよくて、ほかはない。

 連帯保証人になった件で、相手は要するに払いたくないものだから支払いを遅らせる。
 ということがこのところ続いていて、
 実家にも督促状がいくものだから、お母さんが心配で心配でとわたしに「安心」を求めてくる。
 お母さんが心配で仕方がないのはわたしの問題ばかりではない、と思うが、一応連絡しておくかと、支払いを遅らせる件の人に電話すると出ないし、折り返してもこない。
 うん、これは、どうだろうとちょっと首をひねって、それ以外の代案も思いつかなかったので、
 出るまで電話してみることにする。
 ここでめんどくさがっちゃだめだ、借りた金を返すかどうかは相手の問題だが、電話をかけ続けるかどうかは自分の問題であり、それをやるかやらないかは自分の意志がすべてである、と思いその日の夜から(寝るのは寝ました)翌日の午後までかけ続けること、三百回以上。
 わたしはiphoneを使用しているんだけど、続けて同じ人にかけるとかけた回数が二百回で頭打ちになってそれ以上カウントしない、ということを今回、発見しました。
 あなた知ってました?知らなかったでしょう。
 そして自分でそれをして知ることもないでしょう、というわけで一応シェアしておきますね。真顔で。


 ん?iphoneさんカウントやめたぞ、と気づき、なんだか物足りなさを感じて、一度その人がやっている店にもかけて、再度カウント開始。
 いやカウントじゃなくて相手が電話に出ることがとりあえず今の目的なんですが。

 途中で気づいたんだけどこれはちょっとした瞑想だ。
 ムキになるとか腹を立てるとかいうのは目的からそれるので禁止で、ただただ作業としてかけ続ける。

 で、ようやく出て相手が言ったのが、一昨日の夜からとある店に電話を忘れていて今持ってきてもらったところなんだと。
 それはいいです(どっちでも。というか、どうでも)。
 今日やっとこさお金が出来たので帰りに振り込んでおく、と言う。
 じゃあ夜にもう一度かけよう、とかけると出ないのでまたかけ続ける。
 折り返しかかってきたときは、酒気を帯びていて巻き舌ぎみに興奮して、何度も何度も電話してくるのはやめてくれ、履歴を消去するのも大変だ、というくだりにわたしは電話のこちら側でちょっと笑っちゃう。
 そんなことが大変だとはあなたの大変って知れてるね。

 そして何なら払わないを決め込むことだってできるんだ、そうすれば、と言い出したのでわたしのスイッチが入り、スイッチが入ったことを自分で瞬時に意識して、スイッチは切った上で、
 こっちに刃をむける気なのか?と一応確認すると、いやそうはしないけど、と言ったのでわたしも刀をおさめます。
 もはや時は令和ですきに。

 わたしは本当に思うんだけど、脅しをかけてくる人間は極めつきの馬鹿だ。
 特に、わたしに対して。
 そんなことをしても何もいいことはない。
 普段温厚で声も荒げないわたしだが(嘘かも)、こと脅しに関しては、容赦できない生の肌が簡単にあらわになる。
 ある意味自分の弱点でもあるんだけど、つまり嫌いなのよね、その背後にある卑劣さ、というか横着さが。

 脅しはハッタリでもある。
 そしてハッタリは成功してはじめてハッタリなのであり、
 成功しないハッタリとは、恥の上塗り、いわば墓穴を掘るほどのことにすぎない。
 ハッタリが成功するかしないか、それは相手がいるならば相手と、自分の覚悟とではどちらが上回っているかが勝敗の分岐点となる。
 覚悟っていうのは結局、どれだけ保身を捨てられるかだ。
 大事にしているものは誰にでもある。
 その大事にしているものを相手以上に削ぎ落すことができるかどうか。
 余計なものはいらない。
 イモ引いた方が負け。
 それ以外のルールはない。

 お母さんは、ともかく遅延利息が気になるらしい。

 もったいない、は口癖というよりもはやポリシー。
 わたしは嫌いじゃない、母親のそういうところ。


 わたしは連帯保証人になった以上、相手が死ねば払うとは思っている。
 だからわたしに払ってもらいたいのなら先立って死んでいただきたい。

 それにしても一度話さないといけないかもしれないね。
 啖呵切るために保証人を引き受けたわけではないはずだから。
 わたしは遅延利息よりも感謝が足りないよってことが気になるようだ。
 足りないよ、か。

 もっと感謝したほうがいいことあるよ、といったほうがいいか。

 これは結局わたしの問題であり、わたし自身では決してやらないことを彼は代わりにやってくれているのだ、ということも思う。
 つまり、以前にも思ったが、わたしはお金に困るという疑似体験がしてみたかった。
 困ったことがないから。
 というか本当に困ったら元も子もないから、というなんでしょうかこの用心深さ。
 こないだ行った韓国で観てもらった占い師がいうには、わたしは一生お金に困ることはないと。
 (そして結婚するには相当な努力が必要だと。いや。えー?でもまあそうでしょうね。まずは結婚に好印象をもつことからはじめなきゃならないし)
 彼の言わんとするニュアンスと、わたしの受け取り方には多少違いがあるかもしれないが、まあたしかにお金に困ることはないよね、そりゃ。
 そんなことはありえない。
 そしてでも、困らなきゃ気づけないことがこの世には果てしなくある。
 上がらなきゃ見えない景色もあるが、下がらなきゃ見えない景色もまたある。
 遠ざからなきゃ見えないものもある、近づかなきゃ見えないものもある。
 わたしはどっちでもいいと思うんだ。
 どっちもあればそれが一番いいと思う。
 肝心なのは、見えなかったものが気持ちの変化一つで見えるようになるってこと。

 生きていて、やっぱりそうだと思っていた、とばかり言っていてもまるで甲斐がない。

 わたしはずっと、全部自分のせいだよって思ってきたんだけど、
 こないだ読んだ本で、人間関係の半分は自分のせい、という表現を知って、
 それ、いいねと思った。
 なんかいいね。
 謙虚さがいい。ナイス。使っていこ。