明日の心配をできるって贅沢だよね。

 歪みに目を向ける?

 そう、歪みに目を向ける。
 実際歪みでないものはこの世にはなく、もしすべての歪みがない世界があるとすればそれはつるつるとしてまるで取っ掛かりがなく詰まらないものだろう。

 この歪みを愛してみる。
 受け容れてみる。

 なんだって個性だとすれば、たとえばアトピーは個性なんだろうかって思うんだ。
 そう、個性というものの捉え方は実に様々だけど、
 なんといったらいいか、それは硬直したものじゃなく生き物だと思う。
 
 結局のところ、現にあるものから自分が心から納得できるような気づきを持ち得なければ、それはそこにいつまでも留まり続けるのだろうということだ。
 
 皆、役を交代でやっているんだっていっている人がいた。
 そうだと思う。
 たとえ大量殺人を犯したひとでも、たとえばヒトラーとかでも、
 彼という人物を通してどれだけの人が影響を受けたことだろうか。
 もちろん、ヒトラー自身がヒトラーとして生きていたときに、自分はヒトラーっていう役をやっているんだっていう自覚があったかなかったか、
 なかったかもしれないが、
 それはそんなことを言い出せば皆そうで、

 皆おのれが何をしているのか、なぜしているのかということを知らない

 詰まらないものになるのがいいんだろう。
 流れがある。
 流れを堰き止めるものがある。
 流れに乗るものがある。
 詰まるなかれ。

 でも堰き止める試みもまたいいと思う。

 いずれにせよ抱きとめられる。
 大丈夫なんだよ。

10:46 2019/06/18
 朝の時間へシフト実行中。
 なかなか習慣を定着させるのは一朝一夕にはいかないもので。

 一度だけでいいとか、一分だけでいいとかなら皆飛びつくんだけどね。

 よく、兄弟の下の子で、上の子のことを見ていたから自分は要領よくやれる、みたいなのあるじゃないですか、わたしはあれは、嘘というか眉唾だと思う。
 まあ下になったことがないからわからないんだけど、
 わたしはむしろ下の子がはじめての経験をしているのを見てああ、忘れていたけど自分もこうだったんだな、なるほどなあとあらためて納得して理解を深めるクチなので、
 上というより下がいるほうが、
 まあ要領というより。

 だいたい苦い経験とか辛い経験っていうのは、特に他人から学べないんだと思うんだよね。
 要領というものがだからそもそもどことなく眉唾チック。

 年老いた人が若いうちにやっておけばよかったと後悔するのをみて、自分は一生懸命勉強しようなんてあまり思わないよ、自分はせいぜい遊んでおこうって思うんだ。

17:47 2019/06/19
 足もとに身体をすり寄せてまとわりついてくるチョロさん、に話しかけていた。
 かわいいね。
 いつまで一緒にいられるんだろう?

 いつまで?だって、
 わたしはふと笑う。
 いつまででも、永遠に。

 そうだ、でも、わたし人間として生まれてきたからには、
 限界を設けることを可能にして生まれてきたからには、
 つまりそれは明日や明後日の心配をできるように生まれてきたからにはさ、

 この悲しみに、この感動、この郷愁にほんとうに寄り添いたく思うんだ。
 明日の心配をしたいんだよ。


 なんという贅沢だろう。
 この贅沢を気の済むまで味わい尽くしたいと願う。