恋愛について①もしかすると②
どっかで腹をくくらなきゃならないんだなあ。
と、つくづく思う。
わたしはやっぱりスケールのでかい人、変わった人、ぶっ飛んでいる人が好きで、
そうじゃない人には用事がない。
もちろん、本当はそうじゃない人などいないといえばいない。
誰だってスケールはでかい。
本当は、たぶんね。
わたしのこの狭い視野、限定された視野で見たところ、
自分が強く惹かれる人、というのは、やっぱり相当変わった人だと思う。
言い換えるならそれは、泣き言を言わない人。
戦士、ウォリアーみたいな人が好きだ。
二言はないというか。
二言のある人は、わたしは無理なんだよな。
そういう複雑な、不純なものは受け付けない。
ある意味単純というか、シンプルなものがいい。
シンプルなものほど力強いものはない。
相手を試すひとも無理だ。
卑怯な真似をするんだな、と思ってしまう。
相手を推し量るということはわたしもする。
でもそれは相手を試すっていうほど能動的なものじゃなくてあくまで観察によるというか。
わたしはすごいやつが好き。
そうなんだ、ともう受け容れる。
普通、とか好きじゃない。
それに夢中になることはできない。
で、これが本題だけど、なぜそうなのかって、わたしもまたすごいやつ、だからなの、
このことをもう、受け容れるしかないと思った。
もちろんわたしだけが他を差し置いてすごいんだということじゃなくて、誰だって本来そうなんだけど、いまは手が回らないからそれはあとでまた。機会があればいずれそのうち。
以前勢いで一緒に住んだひとにしみじみと言われた、
ぼくはいまあなたといられて幸せですって。
わたしは、そうか、それは本当に良かったねえとほっこりした。
どうよ。
よかったねえじゃないだろ。
もしわたしがいま、意識している人にそんなことを言われたら、よかったねなんて他人事みたいに構えていられやしないだろう。
以前関係したことのある男のひとに、オレは自分が追いかけるのが好きで、相手からも好きって言われるともう嫌いになっちゃうの、ということを言われて、
それは困ったねと思った。
わたしがじゃなくて、どこの誰とも知らない女じゃなくて、相手自身、つまりその男本人が困るだろうなと。
なんだろう、その永遠の一方通行。
困らね?
というのは、いやそれは困ったねと思いつつ、わたし自身、わからないこともないと共感できるところは、あったんだ。
わたしは相手に好意を示されて何もそこまで兎みたいに跳んで逃げたりはしないけどさ、
これは単に性差なのかもしれないが、
でもまあなんか、うん、そんな俊敏に飛んで跳ねて逃げたりはしないけど、
いずれ遅かれ早かれそういったところは、自分にもあるかもしれない、あるなと思った。
どこかで嘘臭さを嗅ぎ取ってしまう。
その相手が嘘を吐いているということではなくてさ。
少なくとも自覚的に嘘を吐いているというようなことではないにしても、
自分が嘘を敏感に嗅ぎ取ってしまう。
というよりも、自分の相手はこの人ではない、相手にとっても自分はそうではない、ということを相手よりも先に察知してしまうんだと思う。
以前居候していた人に、なぜいるの?と聞いたら、わたしを好きやからと言われてわたしは笑ってしまったことがある。
いやあなたはわたしを好きじゃない、とわたしは一語一語噛んで含めるように言った。
好きやって、と相手は言う。
わたしは半ばにあきらめて、まああなたが自分で思うならそれでもいいけど、
要するにわたしには何も響かない。
何もってことはないけど、嬉しさはない。
わたしはわたしのことを好きなひとが好き。
でも、わたしが好きなのは、わたしのことを好きと言ってくれてすごく嬉しく感じるひとなんだ、と以前気づいてそれこそ、すごいことに気づいちゃったというほど胸躍る気持ちを感じたことがある。
いやあたりまえじゃんとか言わないで。
わたしはそんなことにさえ鈍感だった。
好き、と一言でいえばそれこそ汎用性の高すぎるきらいがあるけど、
嫌いじゃないものは好きってこと、みたいなさ。
いや。
まあ、そうじゃあないよなあ。
好きっていうのは、星五つで言えばどのくらい?と聞かれて四つかな、みたいなものではない。
ないんだよ。
と自分で自分にツッコミ入れたい。
いや。というか、そんなことは最初からわかっていた。
わたしは最初からわかっていた。
「太陽の国へ」という本を読んでいたら、受け取る予定ではなかった相手の石を受け取ってしまい詰まらせている、というくだりがあり、
そうだな、とわたしはしばしその一文に釘付けになっていた。
その石は相手に返してもいいし、あなたが裏返して光に変えてもいい、とアヌビスがいう。
光に変える。
たしかにそんなことも出来る。
出来るしそもそも、受け取らなくてもいいものは受け取らなくていいんだよなあと。
自覚的である必要がある。
タダで配っているティッシュは貰わなきゃ損、ならばまだしも、
せっかく差し出してくれたものを拒むのは失礼、みたいな気持ちで受け取るようなことは、しなくていい、ただただ、そんな必要はない、失礼じゃないから、
失礼だと思うことがむしろ失礼だから、というほどのものだ。
せっかく訪ねてきてくれたのに、もてなしもせず帰ってもらうのは申し訳ないな、という気持ちがあったのだと思う。
ひととティッシュを一緒にするのもナンだと思われるかもしれないが。
それでいうと思い出すことがある。
そのへんで知り合った、というか声をかけられたひとと一度くらいを拒む理由もないとわたしは思って、ガーナ人だった、黒人ってのはお初ですねと思ったのもある、
それでしてみてですね、
ワンナイトラブじゃないよね?と聞かれて、いやあ一度でわかるだろと思うような内容だったけど、もう一度くらい、ツーナイトがあってもいいかというような気持ちで、
うん、というと、それから、
その頃はよく行っていた居酒屋で飲んでいて、電話がありいま飲んでいるよ、というと、あなたは自分の奥さんになる身なのに、と言われてまったく持て余してしまって、仰天して、いやこれは、ずるずる、のらくらしていてはいけないと思い、
あなたが本気で結婚相手を探しているのなら、その相手はわたしではない、ということを本当に真剣に伝えた。
そうか、わかったと悄然として帰っていったあと、
そのあと、ヤレ終わったと安心していると、
夜中にいきなり家にあらわれるということがあった。
そして、飲み物も出さないの?と、なじるようでこそないが、軽口のようにではあったが、言われたときにも、心底びっくりしたというか、ないないないないない、と思ったというか。
という経験がある。
もてなす必要はない。
いいですか。
もてなす必要はない。
彼はむしろ、そのことを伝えに来たんだと思うわ。
いやこれは恋愛沙汰に限った話だし、いままさに恋愛沙汰について思うことがあって書いているのではある。
わたしは不特定多数を、いわば自分が意図せざるところのものを「もてなす」ためにこの世にきたわけじゃなくて、
特定多数の、いわば自分が意図したところのものだけを「もてなす」、あるいはそれらと遊ぶためにきたわけで、
そこをめちゃくちゃに混同してはいけないよ、と思う。
思えば高校生の頃、見も知らぬ相手から通学途中に、好きです、と頭を深々と下げられたとき、不愉快さまで味わって素っ気なくその場を通り過ぎたわたし、の方がある意味「正解」だったわけだとさえ、
いまになればなんだか滋味深いものがある。
その頃のわたしは処女で、つきあった経験も告白したりされたりの経験もなく、
自分の身にそんなことが起こりうるとは想像してみたことも、憧れたこともないような時期だった。自覚的には。
だからそれを「もてなす」というような発想は、逆さにしても塵も出てこない状態だった。
なんかこんなことをわざわざ書いていて思うけどわたしは、うぶというか、オクテなんだな。