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    コンプレックスっていうのがやばい。
 それのない人間はいないと思うけど、わたしだってあるし、
 コンプレックスがあることが悪いわけじゃない。
 それに対してどう向き合うか、対処するかということが、「ヤバさ」につながる。

 ストレスとかも一緒だと思う。
 ストレス自体は誰にでもある。生きている以上はある。
 ないのなら、 
 もうじゃあ死んでしまっても一緒なのでは、と思う。

 ストレスがあるから楽しいし、コンプレックスがあるから楽しめるんだよ、
 というところまで行けないから、
 ストレスがやばい、コンプレックスがやばい、という感じになる。
 
 友人の一人が、帯状湿疹みたいなものが出来て病院へいくと、医者に、ストレスですねと言われて、わたしストレスが原因って言われるのが一番イヤ、もっと特定してくれないと医者の意味がない、
 ということを力説していて、
 うーん、いやだって、まあ、ストレスだろうなと当時わたしは思っていたんだけど、
   
 そうだな、確かに単にストレスですね、では能がないといえばない。
 ストレスを解消しきれていない、ストレスを感じ切れていない、ストレスを受け容れきれていないあなたの姿勢が、身体にも現れたんです、というふうに言ってほしいな。

 困ったことが起きる。
 困った、どうしよう、やばい、と危機感を感じるとき、
 それについてどう対応するか、どう受け止めるか、
 そこにそのひとの真価が発揮されると思う。

 なんの危機もないとき、安全でリラックスしているときに、そのひとの真価は問われない。
 作家の氷室冴子さんもよく言っていましたね、いざっていうときの振る舞いでその人間がどういう人間かわかるんだって。
 それで彼女は癌に罹って実に最期をきれいにおさめたという話を何かで読んだけど、
 それはいいけど、
 やっぱりわたしは何も死ななくても、と思ってしまうんだよな。

 わたしはリセットボタンを押さない工夫がしたいんだよ。
 
 職場の友人が、引っ越したのは新築の賃貸で、最初はキレイを保っていたけどどんどん掃除を怠っているうちに汚れてきて、ここは、どうしていいかわからない汚れとかもあるし、一度プロの掃除屋さんに頼んで、リセットして
 それから自分でキレイさを保っていこうかという計画について話していて、
 まあ、そうだなあ、そりゃ、なんもしないよりかはもちろん、いいよなあと思いつつ、
 その「リセット」という言葉がなんだか耳について離れなかった。
 
 工夫したいよね。
 というか、わたしは工夫するのがとにかく好きだな。
 我慢がイヤとか、イヤなことはしたくないから今のままでいいとか、
 そういう二次廃棄物的なものは全部、箒で履いてゴミ箱に捨ててしまいたい。
 もういいからそれ。
 と思っちゃう。

 イヤなことは誰だってしたくない、
 我慢だって誰もしたいわけじゃない。
 わたしだって相当イヤだ、わたしが一番イヤだという自信もある。
 要するに「イヤなこと」「我慢だと思うこと」の具体的な内容は、あなたが独自に決めているだけであって、他の誰にとっても絶対的にそうだというわけではない。
 
 イヤだとか、我慢だとかいうのは、実に表層的な切り取り方なんだよな。
 
 あなたがピンク色について「なんだかわからない」けど、無性に嫌いだと思うとき、
 誰だってピンク色は嫌いだよね!って決めつけちゃうような行為と同じくらい、
「我慢はイヤ」
 という、そのたった一言で自分をごまかすのは幼稚臭いことだ。

 いや、そりゃ誰だって我慢はイヤだけど、誰だってピンクが嫌いとは限らないじゃん。
 ここを混同してしまえる愚かさは脱いでしまうほうがいい。

 つまりそれが何で嫌いなのか、なんでイヤなのか、ということを、
 自分自身にしかわからないソレを、自分が突き止めずにただイヤとだけいう、「イヤ」で察してよ、と振舞う行為に専念したところで、いいことは何も起こらないよ、と思う。

 うん、たとえば、すごく話が超宇宙的になるけど、
 我々の住むこの地球は何度も危機を迎えている。
 何度も原子爆弾や戦争で滅んでいる。
 もうこんな汚いものはいっそ丸ごと全部一掃してしまって、
「リセットボタン」を押してしまって、それからやり直そうって、
   
 そういうのはもう、やめたいんだよ。

 というのに、似ている気がします。

 ノアの方舟はもうオールドファッションなんだよ。

 現にあるもので、現に存在しているもので、何とか工夫して未来を繋げようよ。
 
「いま」に意識を向けようよ。
 

 ノアの方舟の話を最初、子どものころに知ったとき、
 動物の一対だけを集めたの?他のキリンさんやゾウさんはどうなったの?とすごくなんだか胸が苦しくなったのを覚えている。
 そのキリンにも親がいて兄弟がいて友人がいて、ご近所さんがいたんじゃなかったの?
 その喪失をどうやって、その喪失をいったい、ないものにはしてしまえないじゃないか、どうやってそのキリンは解消したんだろうかと、不思議にさえ感じていた。

 わたしは滅びるものを信じていない
 どんな誰だって、なんだって、滅びていいものなんていない。
 それぞれが確かに、確かなパーツだ。

 ジグソーパズルで、12片のうち1片が欠けているものも気になるだろうけど、
 わたしは、2億片でできているパズルの1片が欠けている方がもっと気になると思うんだよ、
 ここまでやったのにソレがない、という事態の方がきっと気になる。

 早い段階で気づいた方がいいけど、遅い段階で気づくことにもメリットはあって、それはそれだけ、その1片の価値に気づく、ということなんだ。