ベテランのわたしが、「勝ち方」を教えてあげた話。

  わたしがシャッフルをしてインチョンを入れると、最初の三枚が1・1・1なの。
 それで、1ドロー出るよって、1ドロー賭ければ百倍だから、
 そう彼にいう。
 だってここに1・1・1、見る?というと、身を乗り出して見せて、と彼がいう。
 こんな貴重な瞬間をわたしはわりと軽くフラットにやり過ごしてしまったんだけど、
 あとあと思い返して、あの瞬間たしかに重なり合っていたなと思う。
 お互いの領域をお互いに親愛的に侵しあっていたと。
 あんなに近づいたことは今までなかった、というほどにね。

 うん。
 こういうのは全部、本番に備えた「下書き」なんだよね。
 下書きをどこの誰とも知れない・はずのひとに見せるわたしの不遜さときたら、
 まったくトンデモないよな。

17:19 2019/07/24
 1・1・1のとき、結局1ドローは出なくて、
 でもそもそも一回も1ドローに賭けてもいない、
 わたしがそういうと、彼がだってカマシやろうなってわかってたもん、と笑う。
 いや、ほんまに出ると思ったもん、とわたし。
 いま振り返ると、ちがうな。
 そうじゃない。
 あなたにカマシなんかかけないよ、ほかのひとにはわからないけど、といって笑えばよかった。

 こうした会話には実に色気がある。
 色気っていうのは、単にセクシーだとか、胸の谷間だとか、
 そういうこと、そんな直截的なことじゃなくてさ。
 色気ってたぶん、知的さをいかに躱すかってことなんだよな。
 
 さっき本を読んでいたら、いま目覚めなくても大丈夫です、また二万六千年後があります、とあって、噴き出してしまった。
 いや、「大丈夫です」じゃない、全然大丈夫じゃないだろ、いったい誰がそれ聞いて安心できるんだよ。
 われわれ、たかだか百年と信じられている寿命からして二万六千年とか天文学的なスケールなんて、まるで実感わかないんだから。

 

 彼が、のんちゃんベテラン感出てるもんな、という。
 隣の台にいる現役大学生のディーラーを見て、おれ大学生とやろうかな、と笑う。
 もっと初々しい感じ出した方がいい?と聞きかけて、やめる。
 
 わたしにはたしかに、ベテラン感があるよなあ。
 いや。自分で思う以上になんていうか、ひとに言われる。
 いまだからじゃない。
 もう、なんだ、ほんとに十代のころからだ。
 なんにもしていない、なんの発言もしていないのにね。
 ただ、そこに存在しているというだけで。

 だから逆にわたしに手を出せるやつってすごいなと思うんだ。
 すごい
 馬鹿だなと。
 いや、そうじゃない、馬鹿に可愛いなと。w

 昨日、職場のウエイトレスをしている子を誘って飲みにいった。
 すっごい久しぶり、とわたしがいうと、彼女がわたしもですよ、という。
 上がり時間が誰とも被らないから。
 うん、わたしも。

 彼女は自分が男なら、お客さんKみたいな立ち位置にいたい、という。
 へえ。
 でも、そうだな、似ているかもしれない。
 お客さんK氏、めっちゃ空気読めるからな。

 彼女もすごい読めるの。
 わたしはトランプのQをプリントしたTシャツを着た子が張りにきたときのことを思い出す。

 

 いったい彼はいつからわたしを見ているんだろう?
 いやもう、見ているものとして話を進めますけど。
 わたしにはこれと言って覚えがない。
 自分自身あるとすれば、あのネイルの件からだ。
 言わなきゃ伝わらないじゃん、と言い放ったあの瞬間。
 
 彼はすごく頭がいいと思う、とわたしがいうと、彼女はうん、と大きくうなずく。
 わたし、彼女を買っているんだな。
    
 

 しばらく前から、友人のことを、要するに横着やねんな、と感じていた。
 横着はほんとうによろしくない。
 でも自分じゃわからないんだろうな。
 貯金なぞ興味もなかったわたしが、ちょっとやってみようという気になって五十万貯まったという話をすると、五十万借りにくる。
 いや。いや、いや。
 あるか、そんな話?
 とわたしは驚愕する。
 でもたしかにこれはわたしが用意した舞台なんだよな。

 そのときに友人がいうには、わたしのことがただ羨ましくて、とこうだ。
 なんやねん、羨ましいって。
 羨ましいから、なんなん、それで自分は下手な下心で失敗してお金を失って、お金を借りにくるってどういうことなの。
 いや、
 わたしは羨ましさから自由にならなきゃならない。
 妬むのも妬まれるのも根は同じなんだよ。
 そこを分ける必要ってないんだよね。
 わたしは妬まれることに実に無頓着、というより傍若無人だった。
 妬んでんじゃねえよ、アッタマ悪いなって、ほんとうに冷淡な、あるいはまた心配性な態度を取って生きてきた。
 そうじゃないよな。
 
 彼女は、そうだな、褒め上手だね。
 それ、すごくいいことだよな。
 褒めるのも上手だし、ひとを上向きに乗せるのもすごく上手。
 
 お客さんAが昨日、また走っていて、なんでや、何が起きてるんや、と実にヤケているので、
 なにが起きてるんやって自分、それ、まるで自分で惹き起こしていることだから、
 わたしのシューターで、見かねてわたしが、
 冷静にやらなあかんでほんまに、という。
 これは、せりふじゃないの、
 せりふって文字通り言えばいい、じゃないんだよな。
 ああ、そんなセリフがこんな場面では有効なんだ、じゃないんだ。
 ただ与えられたセリフを言えばいいだけなら、役者なんていらないんだよ。

 戻してあげたくて、その捻じれてこんがらかった糸を解いて、良い流れに乗せてあげたくて、わたしはそのシューターをまいていた。
 それ、カードを操るとかじゃないんだ。
 操れませんから。
 そうじゃなくて、お客さんAの気持ち、気分を変えてあげたかった。

 ちょっと変わったところで、わたしは冗談のようにいう、
 Aちゃんの弱いときってほんまにBちゃんより弱いねんからと。
 Bちゃんが横で、それ本人おるときにいうか、と突っ込んでくる。
 本人おるときがいいでしょ、と軽く流して、さらに、
 勝ち方教えてあげようか、といたずらっぽくわたし。
 二百五十じゃなくて五百走ってるって思えばええねん。

 結局わたしと、その次で戻して、二百五十万走っていたのが、二万七千負け。
 送り出しながら、ほんま、刻むなあとわたしは笑う。

 その日、飲みに行った彼女が、Aさん、のんちゃんに感謝してるって言ってましたよ、という。
 のんさんに、冷静になれって言われてから戻ったって。

 二百五十じゃなくて五百、というとアホ、そしたらおれ五十ベタ張りせなあかん、
 と言っていたが、
 すればいいんだよ。
 結局勝ち方ってのは、なんだろう、
 まあ要するに負けないことなんだよな。
 というか、自分は勝つんだ、と思いきれるかどうかなんだよな。
 ともかく、額じゃないんだよ。

 五十なら戻せるけど五百は戻せない、じゃない。
 数字に惑わされちゃダメだよ。
 数字は使うものであって、数字に使われるものじゃない。

 いや、ベテラン感やばい。

 褒め上手に関して思うのはだから、わたし、ひとが褒めやすいひとにならなきゃダメなんだろうなあ。
 そうやって皆を、誰でも褒め上手にしてあげなきゃいけないよね。