しんだこと かんしゃ しているよ

 来るんなら殺す気で来いよ、と思っている。
 わたしは容赦しない、容赦するような身分じゃないと思っているから。
 容赦しないことを誠実さだと考えているから。
 ここは、考え違いをしているんだから、というニュアンスもある。
 
 子どもだった弟が阪神野田駅の線路へと落ちる。
 目を瞑りながらホームぎりぎりを歩くゲームをしていた。わたしもしていた。
 弟は落ちた。
 お母さんが悲鳴を上げ、そのへんにいたスーツ姿の男のひとが弟を引っ張りあげてくれていた。
 わたしは後ろから、ちょっと息を呑むような思いで、それを凝視していた。
 いま起きたことを、理解しようとしてじっと見つめていた。
 わたしは落ちられない、ということがわかった。
 それはどこか、痛みにも似ていた。
 弟は落ちることができる。
 わたしはとても落ちられない、それはどこか、敗北感にも似た青ざめた、痛切に突き刺さるような実感だった。
 たった、こんな駅のホームからさえも。

 弟に子どもがいる。
 生まれてすぐ、例によってわたしは生年月日を足してみる。
 22だ。
 なるほど、と嬉しく感じた。
 それなら、いずれまた会おう、と思った。 
 おばあちゃんの通夜で会うと、明後日六歳になるんだという。
 棺桶に死者へのメッセージを入れて焼くことができます、とメッセージカードが配られてくる。
 わたしはその甥っ子が手で隠すように熱心に書いているところへ、
 見せて、とちょっと弾むような挑む調子でいうと、
 つと眼鏡をかけた顔を上げて、いいよ、と彼も元気よく答える。
 そこに書かれていた文字がこうだ、
「しんだこと
 かんしゃ
 しているよ」
 いや、すっごいな。
 わたしは嬉しくなるくらい感心して、賢いねって叫ぶ。
 賢いってこと知ってたで、と彼の目を覗きこんでいうの。