物質とは、物質ではないものも含めた全体の一部を成すもの、でしかない。
どこか自分ばかり先へ進んで、深く潜って、あるいは高く、広く、
見渡せば誰もいないような場所へ、
話相手が誰もいないような、
いや、いるにはいる、会ったことも直接話したこともないひとならば、いる。
でも、いわば、この身体をもってある、直接触れ合う人間とは、
わかりあえないものを、
ずっと。
誰とも話さないわけじゃない、雑談もする、深そうな話もする、
でも、
相手にわからないだろうと思う話はしないし、
相手にわかるものだけで済ませておく。
これは、わたしに相手が見えていないせいだ、と思う。
つまり、相手が何をどこまでわかるか、ということは話していてわかったとしても、
それ以上わからせる、わかってもらえる話ができない、それは、
相手の目線に、どこかぴったりと肉迫するようには、寄り添えてはいない自分がいるせいだ。
なぜ寄り添えないかというと、自分の恐れもある、
自分の理解、物分かりがどこか雲をつかむような曖昧さを残しているせいでもある。
自分にもまだよくわかっていない、まだどこか曖昧で、
まだ、ひとに説明できるようなものではない。
ひとにわかってもらえるようなものではない。
わたしはそれをどこまでも追って、どこまでも辿って、
ちょっと行き詰まるじゃないが、
いや、自分のこれまでのやり方は実際のところ、効率が良いとは言えないんじゃないか、とある時点で気づく。
ひとにわかってもらえるように話すこと、
それが、この先へと進むためにもっと効率が良い方法なんじゃないか、と思い到る。
教えることは学ぶこと、というような。
教えることで自分の理解が深まる、さらにその先へ行ける。
教える、というと、あれだが、
つまり相手に理解してもらうことによって、自分の理解が深まる。
わたしはどこかずっと、投げやりだったというか、諦めていた、そこへの関心はあまりなかった。
自分がわかるだけで満足しているところがあった。
それをひとと共有したいとか、共感を得たいとかいう、欲求がなかった。
まるでなかったとは言わないが。
いわば差し障りのない話題、
自分というものが十二辺もあるうちの、一辺や二辺で済ませて、そこで人との関わりにもう満足するような、
欲のなさ、
埋めたい気持ちのなさ。
欲がないな。
なかった。
どこか退きに退きたがる自分がいる。
これはどこかしら、
たとえば職場にいる、糖尿病を患っているひとが、結婚もせずゲームの課金に何十万、何百万と遣って、長生きはしたくない、最後は公園の清掃員とかでいい、と言い出すようなものと、
同じではないが、
まあいわば同じといったんは言ってしまって構わないような何か、であるような気もする。
公園の清掃員じゃ課金できないじゃん、とわたしがいうと、
そうなったら課金なんてしないわ、という。
いや、そうでしょうね、と頷いて、わたし。
どこか恐れ、どこか引け目、どこか自信のなさ、諦め、
そんなものは、
わたしにだってないわけではない。
いやあの子は、年上だが、
どこかしら叱ってほしそうな気振りを漂わせている。
それで、どこか、もう話していくことが、自分が先へと進む道だとわかって、
そうしているうちに、色々とたしかにわかることがある。
たしかに、過去は変えられる。
ということを思う。
思い描いていたそれ、自分では実感のあったそれ、
今日もまざまざと感じるにつれ、
うん、過去は変えられるな、と確信を深める。
過去世デパートに、魂がいくつも陳列されていて、それを好きなだけ魂袋に詰めてこの世へ生まれてくるんだという話を聞いて、
なるほど、おもしろいな、
つまりたとえばだが、それは、魂は一つというわけじゃなくて量産されている魂もあるはずだ、ナポレオンとか、マリー・アントワネットとかはいっぱいあるんじゃないか。
そこのコピーは可能なはずだというか、
だから誰かの前世を誰かと共有することもできるんだな、という、
そんな話を厨房のひとにしたとき、
それはその魂が一代目二代目と引き継がれていっている、わけではなくて?と言い出したのが、
わたしにはちょっと、目が点になるというか、
いや、なんでそこを、
一本の線にしたがるんだというか、
それはあれだろ、なんていうか、エゴ的な視点というか。
前時代的なそれ、というか。
それどこから出てきたの?
エゴからじゃないの?
というような、何とも言えないが、
はっきりとした直感だけがある。
おまえ、何言ってるの?という、
どこの何の狭さ、どこの何の小ささがそれを言わしめているんだ、とおかしい。
いや、コピーっていうかつまり、
原本がどうのこうのっていうのがもう、どこか物質的な捉われであって、
戸籍謄本があってコピー機にかければどこか、その印刷されたものは原本から薄められたものになるが、
こういう、
デジタル化された情報には、原本とコピーの違いって何もないだろ、という、
あなたの言っている一代目二代目とかいうのって、
まるで原本をコピーしてまたコピーしてどんどん本物からずれていく、というような、
原本を尊ぶような、
どこかしら物質的な。
いや、物質を遜色するわけじゃない、そうじゃない、
たぶんそうじゃない、
でも、物質は物質だろ。
物質ではないものもあるだろ。
いや、これはどこか、そうじゃないな、
つまり、
自分で言っていて、フィクションもあればノンフィクションもあるだろ、と言っているような気がしてきた。
いや全部フィクションだから。
ノンフィクションはフィクションの一部でしかないから。
物質とは、物質ではないものの一部にすぎないものだろ。
うん、それ。
話すと、おもしろいんだ。
厨房のひとはお金持ちになるためのセミナーなんか行っているので、話しやすい。
そんな欲もないひととでは、こういう話はできないから、という意味で。
そこで、
わたしは地道なものが好きだ、一攫千金を狙うようなものはどこかしら横着だ、どこかしら不安定だ、たしかな足もとを築いていない、というと、
コツコツ貯めるのが大事というのもわかるけど、という。
いや、わたしは貯めるのは好きじゃない。
わたしには貯金なんてない。
どこかしら。
いや、つまり言えば、こうだ、
なんであれ、不安に根差した行動というのは早晩行き詰まる。
わたしがいま貯められないのは、要するにそれが自分の不安から出た行為ではないと言い切れないことを恐れるからだ。
お金がお金を生む、それもいいけど、
わたしは自分がなんでもないものに価値を見出した結果、お金もついてくる、
いわば、すでにお金になっているお金、を追うんじゃなくて、
まだお金にはならないものから、お金を生み出すことがしたいんだ、という。
それは起業家精神的な、すごくいい、でも実際何を?と問われ、
ほらきた、
わたしは自分が可笑しいんだ。
それがまだなくて、まだ何も手をつけていないのなら、
説得力がない、と言われて、
まあ、そうだな、とくすぐったく笑う。
いやまだわたし、どこか、門前の小僧がお経を覚えるような、何かでしかない。
脅かされることをどこか喜んで引き受けたがるような貪欲さだけはある。
わたしはわたしの優越感をおびやかされることを望んでいる。
低いものでありたいんだ。
低いところへ行きたい。
そこにわたしの望む答えを、強烈に導き出す何かがある。
生存するだけに勤しむものの中に、わたしが求めている答えがある。
劣等感がたしかにレバレッジになるように、
優越感もまた、レバレッジにすることが可能だ。
わたしはどこかしらものすごく高いところにいる。
いや、もう、スタートはそうじゃんって思っている。
バンジージャンプみたいな何かだ。
飛んで下へ落ち、その反動で飛んだ地点より飛躍する何かを求めている。
わたしのしていることは、どこかしら自分への慰めであるより、挑むものの方が多い。
挑まなければ甲斐がない。
いわば、物質ではないところからやってきて、物質の中で、
物質になりきるのではなくて、
そこで掴み取るものを掴み取って、
という能動的さがなければ、
何の何でもないではないか、と言いたがっている自分がいる。
過去は変えられる。
過去の自分をいま新たな視点で捉え直すことによって、変えられる。
それから、未来については、
もう、そうだな、
逆なんだ。
過去を変え、未来を思い出す。
過去を思い出し、未来を変えるんじゃない。
もう全然、逆。
わたしは結局のところ、自分が安心していられるものだけを話すかたわら、
傍がどうとでも取れる、目に見える行動については実に無頓着なところがある。
いや、どこかしら軽んじているんだな、と思う。
語ったわけじゃない、と思っているんだろう。
行為は何ほどのものでもない。
セックスをするのも、目を合わせるのも、同じことだ、と恬として言える自分をどこか、
誰にも見せないままに笑っている自分がある。
語らないことを行為に埋没させて、さあ、どうぞ、と相手に張らせたがる自分がいる。
言葉尻など捉えていないで、証拠固めなどしていないで、ただ自分の望む方へ賭けなよ、と言いたがっている。
思った通りになる。
思った通りになる、ということを信じるゲームでしかないんだ、この場所は。