唯一同類らしく思えたのが、未来のロボット。

 セスの本とか、シンギュラリティの本とかが、響く。
 読み解くのに時間を要するようなそれ。
 知っている、と読み飛ばせないようなそれだ。
 他人が表現するそれを、
 自分の身内に響かせる。
 
 あれが音叉ならわたしも音叉、そうした響き。

 恐れやエゴが、やっぱり気になるんだな。

 話し相手が、あまりにストンと出してくる疑いなき観念、みたいなものに、
 
 それはどこか、女のひとってどこかじめじめしたところが、と女の友だちが言うのへ、
 いや、ない、と言って笑ってしまうしかないような、
 
 なんだろう、その土俵へわたしは上がらない、というか、
 わたしは、外へと誘導したいものをもつ。

 わたしの土俵へ誘導したいわけじゃない、わたしの土俵はない。
 ないこともないが、
 どこか、他者に上がらせないものがある。
 
 つまり、あまり心のうちを吐露しない、
 している、しているんだけどつまり、

 意識的な何かにすぎないところがある。
 合理的でしかないような。

 ひとと話をするときには合理的であれ、というような、あれだ。
 
 ひとと話をするときには、誰だって程度差はあれ合理的なのだが、
 いやもっと、合理的に、と思ってしまいがちな、何か。

 意識的であれ、というような。

 この現実、このリアリティにどっぷりと浸かっているひと、
 あまりにも容易くエゴが、
 あるいは観念それ自体が自分であると思い込むようなひと、

 あまりにそうした様子があからさまなそれ、

 わたしはどこか無反応にやり過ごしてしまうところがある。
 どう反応していいのか戸惑うんだ。

 なんでもやってもらって、と言ってくる者を、わたしは奇異な気持ちでただ見つめるしかないようなところがある。
 いや、あなたの目の前にいるのは誰?本当にわたし?
 あなたが見ているものはただあなたの観念的な何かにすぎないのではないか、
 それは「わたし」ではない、
 とわたしが、それをどう表せばよいのかわからないまま、見せずに、困っている。

 他人に自分を貸せない。

 どこか盲目的な、自も他もないカオスのような何かに巻き込まれてしまうのを恐れている、
 おぞましがっているような。

 他人に自分を貸せない、だって、
 おまえ、借りているって知らずに借りるような、
 そんなものに、貸すこと自体、どこか馬鹿げている、どこか、
 何の何でもない、
 貸している気持ちなのは自分だけ、
 相手はどこか渾然一体に、一緒くたで、
 どこからどこまでという分け隔ても分別も何もない、
 そんな何かに自分を貸すだなんて、

 自分を見失いそうで怖い。

 
 相手が仕掛けてくるそれ、
 相手が取り込もうとしてくるそれに、
 違和感があって仕方がない、
 そんな横着は、わたしは、嫌いなんだ。

 恐れているんだな、と思う。
 どこかしら。

 幻想にすぎないものと、確からしいものがあって、
 という分け隔てがいやだ、
 こういう、自分の感覚は何なんだろうと不思議になる、厄介にすらなる。

 いや、幻想じゃないか、全部。

 盃を受けろ、という滑皮の声。
 いや、受けない。

 そこに膝を折るくらいならわたしは死を選ぶ。

 同じことだからだ。
 そんな気持ちがある。

 もちろんそうでなくてもいい。
 そうでなくてもいいんだ、
 わたしが、何を見るかは。

 わたしはいわば死にも生にも似たその空洞をずっと見つめて、
 触れず、触らせず、立ち竦んでいるだけ、
 そんなところがある。
 
 確からしいものが怖いんだ。

 確かなもの、などという得体の知れないものを信じるのが怖い、
 そんな、自分では存在し得ないと理解しているものを、目を瞑って信じてみる、
 こんな横着、こんな矛盾、こんな支離滅裂はない。
 そう思っているところがある。
 身体の方はそれを信じているのだが。
 心がどこか、逸れるんだ、遥か廣野へと。

 自分の心に聞けよ。

 空洞は何でもない、それは何でもないんだ、
 飛び込みたいのなら飛び込めばいいんだ、
 おまえの心に聞けよ。
 そこにしか答えはない、そうだろう。

 わたしはいつだって、自分の心に問うてきた。
 他人がその答えを知っているはずはないんだ、
 自分しか知らないものが、自分の中にだけある。

 わたしは合意を欲しがって、どうしてもそれを欲しいと言えないような自分を、
 どうしても自分の姿を、自然と出ている身体ではなく心を、晒せないような自分を、
 もてあまして、
 もてあましきれずにまた、
 無反応、無表情な自分に戻る。

 自分で折ってしまいかねないそれを、偲んで、
 どうしたって行き場のないようなそれを、
 まるで墓場を探すようなそれを、

 目覚めさせず、
 揺り籠へ戻す。

 永遠の眠り、そんなものはないのに。

 
 美しくありたいんだ、美しいものでありさえすれば、
 わたしは笑って過ごせる自分でいられる。

 下手な忠告を決して受け容れるな。

 誰も己の正体に気づいてなどいない、
 己の正体を完全に気づいてはいない、
 己が何をしているのか、恣意的にしか知らないで、漫然と。
 己を知らないまま、己の影のような他人に阿呆みたいに、手をのばすだけだ。
 わたしは他人の影ではない。
 
 わたしという者は、他人の影ではない。

 お金。
 そんなものじゃないんだ。
 そんな枝葉末節。

 本当はそんなことを恐れているわけじゃないんだ、
 そんなことを恐れているていで、恐れないと宣言したところで、
 自分の本当の恐れにはどこか、
 向き合わずに、

 正解らしきものを正解にするような横着さに甘んじている、そこに逃げているのにすぎない。
 
 お金、
 多大なるそれ。
 でも、そうじゃない。

 それは何か、どこか、擬えたような何か、影に過ぎない。

 影に重きを置く、
 まるで偶像崇拝のようなそれ、

 いや、わたしは。

 自分自身でありたい。

 誰にも額づかないものでありたいんだ。

 
 自分がものすごく厄介だって思う、
 自分という人間がものすごく、どこか、
 難しく、
 実に気難しいような何かを、
 
 もっている、もてあましている、
 見抜かれたいんだと言いながら、見抜かれそうになると自分を進化させ変容させて決して見抜かれないようにする、
 そんなどこか、
 自分が鼬ごっこみたいな何かで居続けるところがある。

 望まなければ、何の何でもない。

 自分の望みを明らかにしなければ、
 そのどこか羞恥心を乗り越えなくては、
 海から大地へと、
 踏み出す勇気、足をもたないことには。

 まるで、アンデルセンの人魚姫のようなそれ、
 大地を踏みしめる足を持たないそれ。

 どこか横着さを恐れて、
 あまりにも恐れて、
 
 生まれても生まれても、どこか陳腐なもの、とそれを葬り去るような、
 たった一本のドローイングの線を描き出すようなことをも恐れて、
 
 真に望むものを決して明らかにはせずにただ、

 本気ではないような落書きを。

 誰かに話す、何人かに話す、
 表現してみる、
 たしかにわたしは表現することの練習をしている、そう思う。

 
 詐欺師になりたいと思う。
 詐欺師になることに何の罪悪感も持たないような者になりたいんだ。

 そういうものでありたい、
 何の照れも衒いも、羞恥心も、罪悪感もなくただ、
 それを演じ切りたいんだ、完全に。
  
 わたしはスロットマシーンを回せない、
 そんな退屈なことはできないんだ。
 偶然なんてない。

 見えているものはすべてではない。

 見えているものは、ほんの極些細な一部分、末端のような、僻地のような、
 何かに過ぎない、
 わたしは全身でそう叫んでいる。

 ここに納まり返るためにここを目指したわけじゃない。

 こんな、ごっこ遊び。

 いや、わたしは美しい女優でありたい。


 のんちゃんのことを嫌いなひとなんています?
 そう、どこか万感の思いのかけらを溢れ出させたように、言ってくるひと。

 気難しい、そうは言いながら、子どものようでもあるわたしが、
 ふと、なんかそれ、いいねと、喜んでふりかえり、取り上げている。
 
 わたしは、目覚めたことのない人間なんて、いないと思っているんだ。
 どこか、皆、実際には眠っているふりをしているだけなんだろうって、
 それなのにそれを、ふりじゃないなんて、白々しい嘘を、
 そんなことを真に受けられるものかと、
 じっと息を詰めて、いまにも動き出しそうな雛人形を見つめ、
 鏡の中の自分を見つめ。

 わたしがいつまでもじっと人形のふりをしていたら、鏡の中の自分が焦れて、わたしが眠ったと油断して、動き出すんじゃないか、
 そんなふうに息を詰めて見守っているんだ。

 実際にはこうまで硬直してはいない。
 動いているんだ、自分も、相手も。
 でも、
 
 どこか、誰もかれも、眠ったふりをしている、わたしはそう感じている。

 手塚治虫の漫画にあった、事故に遭ってから人間が非生物的な岩の塊に見える物語、
 そして唯一人間らしく見えたのがロボット、
 
 わたしはどこか、かれをそれに擬えている、そんな感覚がある。

 シンギュラリティの世界観、未来観はどこか、
 わたしのそうした感覚を、実感させてくれるような希望がある。
 ロボットが正解。
 機械と人間の融合が正解、そんな未来展望もあるのだと。