【恐怖!?】USJ〈フライング・ダイナソー〉【乗った】
台風が近づく中USJに行ってきた。
楽しかった。
いわゆるジェットコースターって子供のころ、決して嫌いじゃなかった、
高いところも嫌いじゃなかった。
いつのまにか怖くなっていた。
いざ乗ってみるとただただ爽快で愉快で、笑い出してしまった。
何を恐れていたのだろう、いつかのわたし?
とにかく二大絶叫系アトラクション(フライング・ダイナソーとバックドロップ)に乗りたい、と友人に誘われて訪れたユニバーサル・スタジオ・ジャパン。
一度は乗ってもいいと言ったものの、やっぱり気が重い。
気を重くしてまで乗るものなのかと思いつつ当日、到着すると雨こそ降っていないが台風の影響で(誘ってくれた友人からすれば)肝心のアトラクション二つともが運休となっていた。
有料のエクスプレスパスを追加オプションしているのでチケットを買った友人は返金はあるのか、振り替え日はあるのかと、係員に食い下がっていたが、
「天候のことなので」とまるでそれひとつですべては解決する魔法の言葉のように繰り返されるだけ。
返金も日を振り替える措置もなしとのこと。
正直胸をなでおろすわたし。
これで断らずして気の乗らないことを避けられた、あとは3Dとかハリーポッターとか、ちっちゃいスヌーピーのジェットコースターとか、なんかそんなので楽しもう、と思っていたら、
途中から運転再開しているじゃありませんか。
仕方なく乗り場へ向かうわたしたち一行。
ちなみに三人で行ったのでもう一人いたのだが、彼女は乗らないと断言していた。
理由は高所恐怖症だから。
キャー、ワー、ギャーッという叫びと共に頭上をあっという間に通り過ぎるダイナソーを見上げ足取りが鈍る。
いやもう乗らない、絶対無理、と横で言われ続けると、しゃあない、乗ろう、がとんでもなく仕方なく嫌々乗る、という感じがしてきていけない。
結局乗り場の、もう何番ゲートに入ってというところまで一緒には来たけど脱兎のごとく逃げ出す彼女。
今までゲートで次の番を待っていた人たちが、機械にセットされて背中を上に身体の正面を地に向かい合うように持ち上がる。
その瞬間持ち上げられた人たちの悲鳴のような声があちこちで沸く。
いったいこうまでして何を求めて人はジェットコースターに乗るのだろうかと、ふとつくづく不思議になってしまった。
この楽しみとは何の楽しみなんだろう、などと考えているうちに自分たちの番がやってくる。
セットされたベルトを点検してまわる係員の人。
本当に大丈夫ですか、念のためもう一度チェックした方が、と不安になるが、宙に身体を持ち上げられると、なるほどこんな感じか、
悲鳴を上げるほどのことではないな、と内心どきどきしているはずだが案外と平気。
というか平気じゃなきゃ困るので平気だと言い聞かせているのかもしれない。
足が宙ぶらりんなイメージだったのだが、足も固定されているので割合安定感がある。
翼竜の足に掴まれて宙を舞うというコンセプトだからなのか、
お決まりの発進後、ゆっくりと急上昇してゆく速さが、翼の動きに合わせてなのだろうけど、ぶうん、ぶうん、と一定ではない緩急がある。
機械の不具合なのではと思わせるその演出、怖い。
そしててっぺんを通過して下るとき、あれ、全体の半ばが折り返すまでまだゆっくりだよね。
先頭のひとはゆっくりと最初を下ることになる。
昔のジェットコースターってそうじゃなかったよね。
ん?と思わせてからの急降下。
それも演出なのだろうか、それとも、ジェットコースターの先頭と最後尾じゃ、とあるラインを跨ぐときのスピードが実は最後尾の方が速い、ということを考慮しているのか、
なんだかしらないが、あの地面を見下ろす格好でのさらに頭が下に向いたままのゆっくり下降はけっこう怖い。
そのあと急加速することがわかっているだけに否が上にも緊張感が高まる。
先の番のひとが出発するところからはじまっていたタメがようやく終わり、頭の先から落下すると、あとは一気呵成、息をつく暇もない。
怖がる暇もない。
怖い人は目を瞑ってやり過ごすのも手だけど、
人間は五感のうちの情報源は視覚がおよそ八割だとかいうから目さえ閉じればマジで怖くない。
せっかくスリルを味わう為に乗ったのにと、さすがに勿体ない気がする人にはひたすら空を見るのがおすすめ。
下を見るから落ちるという根源的な恐怖が沸くわけで、雄大な空を見上げているときにはむしろ爽快な気持ち良さを味わえる。
もちろんスリルは激減するけど。
狭いトンネル状のものを通過するときには、レールを走っているんだから激突するわけがないとわかっていても目を瞑りたくなる。
しかし突入する瞬間、すごーいと叫んでいた。
これはすごい演出だ、どこまでいっても演出なのにやっぱり怖いとはすごい、と感じているわけ。
要するに結果、当初の気の重たさはどこへやら、乗ってみれば楽しい!の一言だった。
案ずるより産むが易しとは、まさにこのこと。
とはいえ、最初怖がっていたからこそ、余計楽しいんだろうね。
怖さをまったく感じていなかったら、意外と楽しい、の〈意外と〉の部分がなくて、つまり落差が緩やかで、ここまでテンション上がらなかったかなと思える。
〈怖い〉が〈してみる〉、
まるでどこかの成功法則にある、失敗を恐れるな、失敗こそ糧であるというようなことを思い出しますね。
やらなきゃわからないことはあるね、という高揚をつくづく実感した一日でした。