夢を追う人ではなく、夢を提供する人でありたい。この乗り越えがたくも高らかな壁。
なんだかんだいって、「モラル」「良心」「道徳心」というものが最大の難敵だ、と思う。
それは自分の外側には決して存在しないものなのだ。
トランプ自伝を読んでいると、
スロットマシーンをするひと、ではなくスロットマシーンを所有するひとでありたい、
というくだりがある。
ふとそれを今日思い出して、
夢を追うひとではなく、夢を提供するひとでありたい、とも言えると気づいた。
夢。
それは実に複雑な思いを喚起させるもの。
しかし、トランプにだって夢はある。
だれにだって夢はある。
見抜く力。
自分自身がどうであるかを見抜く以上に、他人のことを見抜くなんて不可能だ。
トランプにも夢がある。
でも夢があると同時にひどく冷めた面もある。
ひどく冷めた、ひどくクレバーな。
闇金ウシジマ君の、ホスト君編、元ホスト君編、ニート君編までをこないだ読んだ。
ホスト編で、ホストは夢を売るのが仕事だとある。
詐欺っていうのは、どういうことだろうと今更ながら興味深い。
たとえば効果を謳って法外な価格で壺を売る商売とかある。
わたしはあれを犯罪とは思えないんだよな。
もちろん本人以外の家族とか友人とかにとっては、そんな馬鹿なことに大金を遣って、と腹立たしいし心配にもなる。
でも要するに本人としては夢なり安心を買ったのではないか。
ここにジレンマがあるのは、
たとえ家族であれ友人であれ、他人の夢や安心の欲求がどれほどのものか、どうすれば満たされるのかを知ってはいないし、
他人がほんとうには何を望んでいるのかを知るのは、不可能だってこと。
何なら、本人さえ知っちゃいない。
本人にさえ明確ではないものを他人がどうやって知るのか。
そう、壺を売るひとは、家族や友人よりも、本人が望んでいたものの片鱗をでも提供できたということ。
値段とは要するに、本人の価値観が決めるもの。
お金って、一円は一円なんだよな、どうしても。
だからわたしは税金を課すには消費税だろうと思うわけ。
消費税を免れているひととかそういうのはよく知らないけど。
パーセントっていうのもすごい不思議だ。
百円の一パーセントは一円だけど、千円の一パーセントは十円なんだよ。
同じ一パーセントなのに「値段」としては十倍違う、
違う、というこの、
なんだこれ、という不思議。
たとえば所得税なんかでもパーセントじゃなくて、月に一万円なり三十万円なり、固定にしようぜっていうと、
ものすごい不公平感があるわけですよ、お金がなければないほどに。
すっごい不思議だよね。
ようするに一円は一円、誰にとっても一円は一円。
それをそうじゃないように見せるのは、ひとつには、パーセンテージ、割合なんだよな。
もうひとつある。
それが百円は安いけど、これが百円は高い、とかいう、
本人の価値観ですよね。
信念または、思い込みともいう。