エゴは好き。

0:06 2019/05/25
 聞くこと。
 聞くことに徹するのは本当に困難だ。

 わたしは、あるとき、モデルのないことをするのは、ほとんど不可能に近いということを肌身で悟って、絶望的な呆然とした境地に立ったことがある。
 それで、自分が自分のモデルになろうと思ったの。

2:38 2019/05/26
 常に自分の捉えた他人が見える。

 自分の捉えた他人だけが見える。

「現実とはなんだろう?あなたの現実とは、存在するものの知覚にすぎない」

「平和を本気で願うなら、戦争反対キャンペーンをする代わりに、平和な状態を視覚化するほうがいだろう。ほとんどの人は状況のマイナスの面に焦点を当て、改善しようとして逆にその状況を長引かせる」

「あなたは外側の問題を攻撃することによって、喜びの状態にたどり着くことはできない」

「わたしの観察によれば、大多数の人が不適切な思考を補うために行動を活用している」

「行動は、あなたが思考を通して生み出したものを楽しむ方法なのだ」

「ほかの誰もあなたのために考えることはできないので、その立場は奪えない。したがって、誰もあなたのために感じることはできないし、あなたのために引き寄せることもできない」 

 by.エイブラハム

3:02 2019/05/31
 超まっとう。


 エイブラハムの話で、あなたは見えないところにも繋がっていて、見えないところにも影響を及ぼすことができるのだ、というのが、なんだか印象的すぎて忘れられない。


 あるいは、あなたは「この宇宙」だけじゃなくて「別の宇宙」にも繋がっている、という話が。

 まあ、なんだろう。そうだろうなあと、何だか知らないが、なんでだか知らないが、腑に落ちる。

 自分ってものに捉われる。
 でも、自分はどこまでも広がれる。

 皆、エンターテイナーなんだよって思っている。
 自分の楽しみが溢れ出て結果的に他人をも楽しませることができる。
 ここは「自分の楽しみ」が純粋であればあるほどよく、
 じゃあ純粋がどういうことかといえば、

 他人に自分の下駄を預けないことかな。


 エゴが問題なんだよね。
 いや、わたしはエゴが大好きだ。
 その切り離されたもの、分離されたものが、本当に大好き。
 問題っていうのは、要するに単にチャンスなんだよ。
 あなたは全体の源から切り離された、あなた自身であるところのエゴを、奇跡のように愛おしむのがいい。

 決して他人に下駄を預けることはなく。


 他者からの承認は、実際のところまるで必要ない。
 本当は必要がない、というのは、
 他者に喜びを与えることが必要ないって言っているんじゃなくてさ。

 必死に自分を正当化するような真似はただ、いらないというだけ。