子は親を救うために「心の病」になる。を読みました。わたしは人の期待に応えることができない人間だ。

 

 

 

神との対話③」を開くと、
「他人を裏切らないために自分を裏切る」それは「最大の裏切りだ」という一行が目に飛び込んできた。
 そうだな。
 本当にそうだ。
 そしてわたしは自分を裏切らないことだけに精一杯だ。
 他のことができない。
 
 パパ(いわゆる「彼」ですね)に感謝している。
 申し訳ないと思う。
 伝えないが。
 伝えるとすれば、申し訳ないという気持ちはない、感謝しかない。
 わたしはパパのことを心配はしていない、信頼している。
 とでも言うだろう。
 
 言葉は嘘をつく。
 言葉は未来を先取りする。
 わたしはまだ申し訳ないと思っている。
 まだ心配している。
 でもそうじゃない、ということが「わかる」、だから申し訳ないとか心配しているといった言葉を伝えるべきではないと感じる。
 それはわたしの望む状態ではないと知っているから。
 
 
「母と子という病」を書いた高橋和己という人の、「子は親を救うために「心の病」になる」を図書館で見つけて読んだ。
 レビューを見ると「宇宙期」について書かれている人が散見される。
 わたしも「宇宙期」に関してが自分にとってはもっとも興味深かった。
 わたしは自分の母親が、発達障害だとは思わないが、ただ、とても自分を持った人だったと思う。
 そのために早くからわたしは自分を母親から乖離させることができたのかなと思う。
 わたしは母親を見ていて、そうだよな、母親だって母親になるまえは一人の女性だった、人間だったと、どこかでふと気づいた。
 そこに寂しさは一抹もない。
 当然至極だと思うだけだ。

 わたしは子供を持つことを恐れていた。
 子供ほど純粋無垢で無力でまっさらなものはない、と思っていた。
 そういう存在である子供の親を自分がする。
 子供を傷つけるのが怖かった。
 でも、と大人になって思った。
 子供はいつまでも子供のままじゃない。
 いつまでも親がすべてというわけにはいかない。
 ふとそう気づいたら、すごく肩の荷が降りた気持ちになった。自分の子供なんてそもそもいないのだが。
 
 たしかに母親には、ちょっと冷たいと子供心に感じたところがある。
 フルタイムの上場企業に勤めていたこともあって、そういえばお母さんって普段着がないな、と思っていた。
 本当になかったのかどうか思い出せないが、普段着がない、と思ったことを覚えている。
 いつもデパートの決まった婦人服売り場で服を買っていた。
 レリアンっていうブランド。
 いやいつもかどうか知らないけどね。
 そして今はそうではない。今は早期退職してむしろ普段着しか着ていないと思われる。
 ヒール靴でもない。
 もう67歳だしな。
 子供の頃、お母さんの膝の上に乗ろうとしたら、汚れると怒られた。
 ショックだったから覚えている。
 だが、いつもいつもそうだったのだろうか。
 一度きりのことではないだろうか。
 だがそのたった一度きりのことを子供っていうのは覚えているものなのだ。
 お母さんがいつも上機嫌で子供を全面的に労わり、慈しみ、受け容れる、決して機嫌悪くたった一度でもその手を払いのけることがあってはならない、
 とすれば、
 そりゃしんどいだろう、無理だろうと思う。
 そうあるべき、だなんてとても思えないね。
 そんな完璧さを母親に要求することはできない。
  
 もうひとつ覚えているのが、母親と二人で、昼食でも食べようかということになり、
「何が食べたい?」
 と聞かれて、何の気なしに、
「なんでもいい」
 と言ったらひどく怒られた。
「なんでもいいじゃなくて何が食べたいのかはっきりと自己主張して」といったようなことを言われた。
 いやだって本当になんでもいいし。
 わたしが何か食べたいと言いだしたわけでもないし。
 小学生低学年のころだった。
 そんな突然怒り出さなくてもいいじゃないかと思った。
 
 でもこうしたことを、恨んでいるかというとまったくそうではない。
 そんなに急に怒らなくても、というショックによる反発は、
 わたしに罪悪感を覚えさせなかったし、ただ冷静に母親を見ることに繋がるだけだった。
 なんていうか、ああ、甘えちゃいけないんだな、というか。
 それがひどく辛かったかというと、そうでもないんだな。
 カルチャーショックみたいなものであって、
 自分には自分があり、母親にも自分がある、というような、そこまで具体的に言語にしたわけじゃないが、気づくきっかけであった。
 

 そしてもう一度よく考えて何が食べたいと言ったかということは思い出せない。ただ、おそらく、その場すぐは悲しかったので、ひたすら黙り込んだ可能性はある。
 そうして反抗したのではないか、と思われる。たぶん。

 わたしは他人の期待に応えるということができなかった。
 親の期待にだって応えられない。
 いやなことを「いや」とはっきり言わないまでも「うん」とも決して言わない。
「聞いてるの!」と言われたら「聞こえてる」と答えるような、まあそれは中学生にもなったころだけど。
 
 覚めていた。
 実に覚めていた。
 同級生にもよく言われた。
 素だ、とか、変わっているとか、さめてるとか、はては神秘的だとか。
 わたしの反応は常に、へえ、そうなんだ、という感じだ。
 そんなことないよ、でも、そうなんだよ、でもなく、そうなんだ、あなたはそう感じるんだ、というぐあい。
 
 線引きがはっきりしていた。
 他人が自分にどう振舞ってほしいと思っているか、ということにはさほど興味がなかった。
 中学生になり、運動部の活動に参加し、三年生とは仲良くしていた。敬語もつかわない。
 ところが三年生が卒業し、二年生へ進むと、ひとつ上の学年の子たちが、わたしに挨拶をするように言ってきた。
 これがとんでもない葛藤をわたしに与えた。
 相手に嫌われたくないが相手の要求をのむこともできない、というこの相容れない、自分の置かれた立場にひどく苦しんだ。
 結局、部活動にはほとんど顔を出さないが退部もしない、ひとつ上の三年生が卒業するとこれでもういいやと、やっと退部した。
 なんかよくわからない意地だった。
 まあ要するにわたしは相手の要求をのまない選択をした。
 嫌われるのはとても悲しいが、やむをえないと思うしかなかった。
 
 とにかく、そういうところがある。
 なぜ期待に応えられないんだろう、と悲しくなることもあるが、ようするに仕方がない、とするよりない。
 だって応えたくないんだから仕方がない。
 
 パパはそういうわたしを責めることがあった。
 いつもいつもそうではないが、突き詰めると、そこの部分でどうしても対立があった。
 いかんともしがたい、熱く冷え冷えとした譲り合えなさが。
 
 わたしには「自分の中に他人を入れないところがあって、そこに踏み込まれることを嫌がる」とパパは言った。
 うーん、まあ、そうなのかなあ、いや、そうなのか?
 まさに人が二人いればそこには世間の縮図がある。
 我と我がぶつかる。
 あなたを知ることによって自分を知る、ということが起こる。
 パパの言い分はパパの内部から出てきたものだから、完全にそのいわんとするところ、パパをしてそれをいわしめる価値観の全貌、というものは、
 わたしには把握しきれない。
 他人と自分とは別の人格と成育史があるから、他人のことが自分には手に取るようにわかる、ということにはならない。
 こうだろうか、ああだろうかと類推するよりない。
 パパは「俺は自分の中に他人を入れる」という。
 それが成長の種になる。
 いや、そうと言えばそうだ。
 ところでわたしが、「自分の中に他人を入れない」というのはパパの言い分であってわたしの自己紹介ではない。
 わたしによる認識ではない。
 
 これは推測の域を出ないけど、彼自身にはわたしの思うところの「自分」がない。
 あるいは、わたしとは「自分」というものが指す内容に食い違いがある。
 わたしは踏み込まれるのを嫌がる、というより、そもそも踏み込めないと思っている。
 クオリアだ。
 それは踏み込んだり踏み込ませたりできない。
 わたしが許可しないのは、唯一無二の自分を明け渡す行為だが、
 しかしよく考えてみると、そんなことはそもそも不可能だ。
 許可するも許可しないもない。
 だが、まあ、許可できるとしようよ。
 できるとすれば、わたしは許可しない、とパパに言わせるとそうなる。
 ここにはねじれがあって、永遠に空回りし続けるような無為さ、無毛さがある。
 わたしはついにそこを解き明かすことはできなかったが、
 仕方がないのかもしれない、と思っている。いまは。
 おかしな表現になるが、悔いはあるが後悔はない。
 遣り残したことがあるかもしれないが、そもそもの第一歩を間違えた、という思いはない。
 この関係自体が間違っていた、とは思わない。
 得られた経験は数多くあり、パパがわたしにしてくれたことには感謝している。
 
 悲しいのは、じゃあ俺の心に土足で踏み込むような真似は最初からしないでくれたらよかった、と憤りをぶつけられることだ。
 
 結婚するのがゴールではないが、たとえば結婚しなかったとかね。
 今になって別れを切り出すとかね。
 別れを切り出した覚えはないんだけど、ないつもりだったけど、もうそうなっているし、まあ、もうじゃあそれでいいや。
 しかしいったいいつ付き合うことに合意しあったんだ?という疑問もあるが、まあそれもいいや。
 だってもうお別れしたんだから。
 わたしだって辛くないわけじゃないが、彼のほうが辛そうだから、彼の望むようにしよう。
 
 とはいえいつまでわたしは、こういうことを繰り返すのだろうか。
 どこか悪いところがあるに違いない。
 以前誰かに言われたようにどこかに「隙がある」のに違いない。
 わざとだよ、と思ったこともあるけど、わざとというほどには自覚がない。
 
 ともかく彼の得たいものを、わたしは与えることができなかった。
 無視できるほど、好きではなくなった。
 いや、そもそも好きだったんだろうか。
 募る思い。
 募らない思い。
 どこかで道が分かれた。
 
 まあ、それはそう思う必要はないかもしれないけど、八つ当たり的に感じたのが、わたしにしんどさを生じさせた。
 しんどいのはたまらんと思った。
 でもよかったという思いもある。
 こんなふうに彼が怒れてよかった。
 わたしも生身の人間だし、人間が練れてもいないから、耐性にとぼしいのは否めないが、それでも、
 ああ、でもよかったな、という気持ちもしていた。


 親との間に何かがあった。
 何か、つまり、とある信念が彼なりに構築された。
 それは多くのひとに共通する信念であるかもしれないが、
 共通はするかもしれないが、
 わたしは個人的な経験であり信念であると思っている。
 自分がそうだから他人もすなわちそうだ、とはならない。
 とはいえ類型化はできる。
 類型化しようとしていたのかもしれない。
 相手を一個のものとしては見ずに。
 いや。
 でも世間一般では、と彼が言うのを、世間一般とか知らないけどパパは、と言い直したら怒っていた。
 わたしはそれをさらに類型化によって理解しようとした。
 なぜこれ(普通とか一般的とかどうでもいい)がそれほど癇に障るのだろうか、ということを、他の事例をあたって理解しようとしていた。
 
 耐性が必要だった。
 わたしには耐性がなかった。
 
 最初、輪の範囲は広かった。
 そのうち間を詰められて、わたしは「いま、ここ」を持ち出すしかないように思われた。
 もう「いま、ここ」に立ち会うしかないと思った。
 これ以上、先延ばしにはできないと感じた。
 
 彼が現実だと捉えているもの、それは幻想だ。
 わたしが逃げているとすれば、幻想からだ。
 幻想へ逃げているわけじゃない。
 まるでこれは「自由からの逃走」と「自由への逃走」の違いについてのようだ。
 まったく似ている。
 
 またこんなことも思った。
 わたしはどこかおかしいようだ。
 人が赤く見えているものが、わたしには緑に見えているようなことが、あるようだ。
 そこに三角形がある。
 あるね、と同意する。
 よくよく聞いてみればそれは赤色をしているのだという。
 わたしには緑色に見えていた。
 なぜそれを先に言わない?と怒られているようだ。
 
 たしかに反発がある。
 なぜそれを先に言わない?だって?尋ねて来なかったからじゃないか。
 みたいな反発が。
 だがどうも、それは多くのひとにとって赤色に見えるものらしい。
 わたしはそれを「知っておく」必要があるらしい。
 いや、ないけどね。
 
 わたしは右利きだから左利きの人がかこつ不便さを実感としてわからない。
 わたしは実際のところ色盲じゃないから、色盲の人が感じるであろう不便さがわからない。
 でも色盲ってものを最初知ったときは、いったいでも何色に見えるのが正常かなんてどうやって決めるんだ?と思った。
 ようするに多数決なんだよね。
 それが赤に見える人が十人、緑に見える人が一人か二人なら、
 もう赤であることにしよう、そうでないと取り決めが出来ないから、不便だから、進まないから、
 こういうことが世の中には原則としてあって、
 それは常に多数を占める者にとっては確かに便利なんだけど、
 その最初に決めたことは何も絶対ってわけじゃない、ということを忘れるとたいへんだ。
 いったんそうと決めたにすぎない、ってことをころっと忘れちゃうんだな。
 幻想を現実だと思いこむ。
 人工的な記号で表記できないことは、世界には存在しないと思いこむ。 
 確かにそうじゃない。
 世界は一部しか表記しえない。
 
 なぜそれを先に言わない?
 ここには大いなる勘違いというか、手前勝手な思いこみがある。
 わたしは確かにそれをうすうすは感じている。
 いや、うすうすどころか。むしろ。
 わたしはそれを先に言うか?
 いや言わないでしょ。
 なんでマイノリティであるからって先回りしなきゃならないんだよ。 
 わたしは辛抱強く「いま」自分が見えているものについて一々表現するだろう。
 あなたにはそれが赤に見えるのかもしれないけど、などという余計な注釈は付け加えないだろう。
 そしてそれが事態をややこしくさせることはこの先もあるだろう。

 まあ、いいんじゃない?

 人には誤解する自由ってものがあるのだから。

 

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