なにも死ぬことはない。

 わたしはこんなにも億劫がってみせた。
 だから、億劫がるってことは良くないんだ、
 ということを、
 言おうとしてふと見渡せばやっぱりわたしよりもっと億劫がっているひとたちの姿が見える。

 まだ足りない。

 でもこんなことは、たしかにいつか、いつでもどこか、感じ続けてきたようにまったくキリがない。

 比較の世界では、単にすべては相対的なものに収れんされてしまう。
 ともかく、「いかに表現するか」ということしか「絶対」の中へは組み込まれないのだ。

0:19 2019/03/15
 わかったと思うことが一つできたら、わからないことが三つ増える。
 それまで何とも思わなかったことが、なぜなんだろう?と知りたくなり、それらはどんどん増えていく。

 わたしはそのことにうんざりはしない。
 むしろ、どんどん知りたいことが増えていくという事態にまったく夢中になる。
 俗にいう、嬉しい悲鳴を上げている状態に近いかもしれない。

 わたしは「自閉症」が気になって気になってしかたがない。
 興味をひかれてやまない。
 というわけでついに、「自閉症だったわたしへ」を手にした。
 この本の存在を二十年も前から知ってはいた。
 でもその頃は、自閉症についてさして興味もなかったので、読もうとは思わなかった。

 わたしが自閉症についてひかれる理由は、乱暴な言い方かもしれないが、要するに程度の差はあれ皆自閉症じみている、という認識があり、自分にも関わりのある話だと強く感じるからだ。
 
 それ、が存在しているのは、これという一つの理由だけということは、できないだろう。
 それはまるでプリズムが光のあたる角度によって虹色を映し出すように、たった一色ということはないんだと思う。
   
 なんでもがそうであるように、自閉症に関しても、そうと診断されるには、よっぽどそうであるという度合いの深さがいる。 
 一つの尺度でいえば、生活に困難をきたすレベルであるとか、
「行政による支援」という立場からも、どこかに線引きが必要とされている。
 でもわたしは、行政の都合はどうだか知らないが、そこに本当に明確な断絶があるわけではなく、自分とも誰とも地続きの関係はどこかしら必ずあるのではないか、と感じている。
「生活に困難をきたす」度合いのそれについて、支援が必要ではないとか、
 たとえばだが、目の見えないひとは単に見える努力をしていないだけとか、
 そんなことをいうつもりはない。
 
 ヘレン・ケラーの話を昔子どもの頃に読んで、呆然としたし、ものすごく不思議だった。
 それはいわば子ども向けのダイジェストともいうべき、端折られた話だから、細部については触れられていない、それで謎が残ったのだと思うが、
 水にふれ、てのひらに指でWATERと書かれて、「これがそうなんだ!」という超能力レベルの閃きはいったい全体どこからやってくるのだろうか、と心底たまげてしまった。
 わたしがもし、目も見えず耳も聴こえない世界に住んでいたとしたら、彼女のような閃きがおりてくるのはまったく到底不可能なのではないか、と思った。
 わたしが不思議だったのはその回路を彼女は、導いてくれる存在がいたとはいえ、いったいどうやって見出したのだろうか、ということだ。
 
 わたしは自分がどうやって物が見え、どうやって耳が聴こえているのか、本当には知らないんだ。
 つまり自分がどうやってそのことを可能にしているのか、ということのからくりをつぶさに実感し、ひとに説明できるようにはわかっていない。

 わたしの友人で、自分の子どもの発達が遅れているのではないか、もしかするとそれは「障害」と呼べるレベルのものなのではないか、と気を揉んでいるひとがいる。
 ほかの子どもと同じようにふるまえないことで、いまは良くても将来爪はじきにされたり、困ったことになるのではないか、と心配している。
 それは、わたしからすれば、彼女自身の心配であり、不安なんだよね。
 そんなことをいえば何だってそう、ともいえるが、
 つまり心配なんてそんなもんだ、という意味では。
 この子が本当に将来困ったことになるかどうか、そう受け取るかどうかは彼が決めることなんじゃないの、とわたしはおそらく親ではないゆえに冷静に思ってしまうのかもしれないが。

 わたしがふと考えこんでしまったのは、続けて彼女が、
「障害があるのなら障害があるといっそ認定された方が、子ども自身も楽なのではないか」
 と言ったことについてだ。

 そうなんだろうか。

 わたしは、目の見えないひとがたった一人だけいる世界を想像した。
 あとは皆、目が見えているので、「目が見えている」ということがどういうことなのか、
 そもそも誰しもが自分は「目が見えている」のだという認識もないという世界に、
 たった一人だけ「目が見えない」状態で生まれてきた人がいたとしたら。
 彼はものすごく確かに孤独で、誰からも理解されない。
 なんでこんなところで躓くんだとか、なんで自分から電柱にぶつかっていくんだとか、この標識をなぜ無視するんだとか、そんなふうに責められているところを、想像してみた。
 
 たしかにそういう世界では、
「あなた方には「目が見えている」が彼には「目が見えない」んだ」
 と、ほとんど神様のように宣言してくれるような存在が必要かもしれない。
 そうしたら、やっと、物事は平和な解決に向かって動き出すのかもしれない。

 でもわたしが思うに神様は何も宣言しない。
 神様は「立場」をもたない。
「立場」をもたない、それはどういうことかといえば、どんな発言もどんな特定の目線も持ち得ない、要するに人間が可能なことは神様には不可能なんだってこと。

 障害があるのなら、障害があると大っぴらに認定される、
 それはつまり、なんていうか、カテゴライズされるということだよね。
 彼は彼の所属すべき居場所を獲得する、というか。

 たぶん。
 そうなんだろう。
 
 わたしはそう、何かに所属するとか、自分の居場所とか、そういうのをなんでだか知らないが。
 ほんとうに、なんでだか知らないが、そういったものへの価値を見出せないところがある。
 そうであるということの、負の面を見ているのかもしれない。
 
 たとえば、日本でなら、あの戦争中なぜ、国のために死ぬことが尊いと思えたんだろう、
 そうは思えないひとが非国民だなんて、なぜ誹られたんだろう、
 わたしがもし、あの時代あの日本で生きていたら、いったいわたしはどんなふうにふるまっただろうか、
 ということを、実にまじめに考えこんでしまう。

「あのころはフリードリヒがいた」という本を読んで、
 これはハイル・ヒトラーに親も属するドイツ人の少年が、かつて分け隔てなく遊んだ友がユダヤ人だというだけで、防空壕へも入れてもらえず死んでしまった、ということを本当に淡々とした目線で描いた本だ。
 淡々とした目線で。
 というのは、何の言い訳もなく。
 何の自己正当化もせずにただ、起きたことを克明に綴っている。
 わたしはこの本を読んだときにも痛烈に、感じた。
 もしわたしがこの場に居合わせたとしたら?
 いったいわたしはどういった人間だっただろうかと。
 
 彼にも防空壕へ避難する(生きのびる)権利がある、と子どもでありながら大人を説得できただろうか。

 あるいはまた、ユダヤ人の彼の立場だとすれば、絶望的に不利な場所に留まることはせず、何としてでもとっとと国外へ逃れ出られたのだろうかとか。

 死ぬことは怖かった。
 ほんとうだ。
 わたしはほんとうに、死ぬってことが小さな頃から、小さな頃には怖くてたまらなかった。
 たぶんだが、いまになって、あるいは死に直面してはじめて、急に怖くて震え出す、なんていうことがないようにしたかったんだと思う。

 だから「九日間の女王さま」で、レディ・ジェーン・グレイが、
 もちろんそれに震えながらも、断頭台へと歩んだ姿、その精神を知って、
 いったいどうすれば、そんなふうに、さまで無様に取り乱すことなく最期を迎えることが出来るのかと、
 本当に心の底から衝撃を受けた。
 わたしはあれを読み終えたときの呆然とした気持ちを今でもはっきりと覚えている。
 薄暗い夕暮れ時、読む進めるには灯りを点けなければと思いながら、ついに灯りをつけるために立ち上がることさえできないまま、読み終えたときのことを。

 それからまた、なぜ、彼女は逃げ出さなかったんだろう、
 なぜ、彼女は死ななくてはならなかったんだろう、
 彼女はどうして死を受け容れ得たのだろう、
 もしくは、何がどうなれば彼女は生きのびることができたのだろうかと。

 ともかくそれほど、生きていてほしかった、ただ。

 何も死ぬことはない、と思えた。

 

 そうだ。
 つまりいま、わたしは、それを体験しつつある。

 遠からず近からず、だがいまにも死にそうだ、という状態のひとがいる。
 わたしは何も死ぬことはない、と思う。

 彼自身、死にたくないと言っている。

 わたしはわたしの罪悪感を打ち消すためにだけ、彼と接するのは間違っていると感じている。
 あるいは、同じことだが、自分の正義感を貫くためにだけ、彼と接するのは間違っていると感じる。
 
   
 わたしは基本、楽観的な人間だ。
 ドナ・ウィリアムズの、身体に対する暴力ではわたしを傷つけることはできなかった、
 という表明は、
 わたし自身が果たしてそうであるかどうか(わたしは身体に対する暴力で傷つかないでおれるかどうか)はともかく、
 ものすごく楽観的というか、希望に満ちた宣言だと感じた。

 ものすごく強い。


 ルワンダのジェノサイドを生きのびた少年の自伝を読んで、
 わたしが一番衝撃的というか、むしろショックじゃなくて、ただ涙が溢れてしかたがなかったのは、

 ジュネーブかどこか、ヨーロッパのどこかに亡命して、そこの神父さんだか牧師さんだかが養父になってくれて、
 そのひとについて、足を切られ、目を抉られた少年がいうんだ、
「彼(養父)はほんとうに魂の根深いところでぼくを救ってくれていた、彼自身はそうしているとも知らずに」と。

 わたしはここの叙述に、本当に心を揺さぶられる。
 なんという美しさだろうかと。
 
 その牧師だか神父が美しいんじゃなく、それをそうと受け取る彼が美しいと感じて。

 

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