どこか放埓なそれ。自恃だけ。
いわば、
誰だってわたしをどこか憎からず思っている、ということにわたしは、
自信と矜持と、あふれだすような傲慢さ、
笑い転げながら相手を翻弄するような何か、
どこまでも責任を取らないような何かを、
そんな匂いをふりまきながら、こうしている。
わたしが責任を取る、そんな話はない。
あなたが喜ぼうが、嬉しかろうが、怒ろうが、何の正義を訴えてこようが、
要するにそれは自己責任だとわたしはどこか、笑うんだ。
わたしは相手の鼻面をひっかきまわしたいわけじゃない。
ただただ、何であれ自己責任だろってことを、ほとんど真顔で迫りたいような思い、
それしか実際のところ、ない。
それで彼が、のんちゃんが悪い、ということを敢えて訴えてくる、
そんなところに響いている。
いや、たしかにわたしは、あなたに対してだけは意図的に何かを仕掛けてはいる、
間違いないんだ。
他の誰にも無頓着でも、あなたに対してはそうではない。
他の誰が何をしようと、何を仕掛けてこようと、わたしはどこ吹く風といった、涼やかさがある。
冷たさがある。
素っ気なさがある。
うん、いいよと簡単に言ってしまえる、どうでもよさ、
鷹揚さ、
自分が真に迫れないような隙間を残したものがある。
余裕をこいていられるような、真剣でなさ、切羽詰まったもののなさがある。
いや、わたしはまるで、いつかのアリィドのようなものだ。
わたしはまるで、自分だけが永遠の命を得てそこに寂しがっている、
そこの孤独を誰も埋めることはできないのだろうと悲しんでいる、
どこか放逸なものを残している、
それと変わりないものがある。
たしかにわたしのこんな圧倒的に高位な思いを、あれはわかるまい。
彼がくる。
温まった台に来て、
おれは騙されない、となどいう。
いや、あなた、皆そこを騙されてとは言わないが、
そこはそう見えるという方へ張っているのに、
おれは騙されない、なんて張らない、
ある意味、呼び込みだ、とわたしはちょっと咎めるように思っている。
そして、皆が当たったときに、彼に、
騙されておけばいいのに、と笑う。
彼は他へ響かせたい思いを、放埓には出来ずにただ、わたしとだけ笑っている。
何番か張って、
いや、もう、三点勝った。
のんちゃんに三点勝った、
これでやめとくわ、のんちゃんに勝てる、
のんちゃんに良いイメージを残しておく、育てておく、
そういって席を立つ。
わたしはふと笑っている。
この遊びを続けるのなら、たしかに、そうでなくてはならない。
どこかでまるで呑んでしまいたいような自分をわたしも抑えている。
いや、わかるものがいい。
わたしはわたしをわかるものがいい。
わたしを決して引き下げずに、むしろ、
引き上げるくらいにわかるものがいい。
23:44 2019/10/25
まあ、わからんよな。
とどこか、
あたりまえのように思う。
寂しさやもどかしさはない。
わからなくて、あたりまえだ。
わたしもまたわかってなどいないんだ、と開き直るような何か。
何にでもなれる、子どもは、子どもだけじゃないが、ひとは自分が思い描きさえすれば何にでもなれる、
でも大人が、大人になっては友人などが、良かれと思ってそれを押しとどめるよね、
諦めるのが正解だと信じていると、良かれと思って友を諦めさせようとする。
良かれと思って、自分の信じる安全策、生き延びるだけの知恵を教えたりするんだ。
そうキッチンのひとにいうと、
それはなんとなくわかると同意し、
わたしに、あなたは何になりたい、とかあるの、と聞いてくる。
どこか、探るような、測るような、上目に。
それでふと、何になりたいか、と改めて自問したときにたしかに、
それは獏として形を成していない。
いまだ、世の中にこうと言って通じるような形のあるものではない。
いわばわたしにはただ、
己自身に忠実でありたいという気持ちだけがある。
そして己自身とは常に成長の途上にある。
あらかたの、ある程度の、こうというものはある。
でもまだそれには、名がない。
宇宙にあるものはすべてわたしから分岐したものだ、わたしに他ならないものだ、
このことをわたしは「知って」いる。
まるで自分がすべてになってしまって、自分がレタスを食べる、その食べられるレタスもまた自分である、という感覚、
地上のどこかで今まさに殺すひとも、殺されるひとも、なべて自分であるという感覚、
これが「わかる」。
でもそれを何とも言い表しようのない自分がいる。
自分がなぜ、何をどうやって目が見えているのか、わからないんだ、
でも目が見えていることは確かだ、そんなような思いがある。
潜在意識とか自律神経が、何をしているのかはわからない、
でも「わたし」はここにいる。
ここにある。
わたしは感じ切りたいんだ。
何になりたいか?
わたしはわたし自身でありたい。
わたしがわたし自身であるところのすべてを、あますところなく引き受けたい。
他のことはどうでも構いやしない。
なんであれ同じことだと言いたがっている。
わたしはたしかに、ひとと触れ合いたがっている。
身体の接触ということではなく、
心に触れたがっている。
身体は、わたしは、どことなく苦手だ。
それはどことなくエゴがまといついて離れないでいる。
そこの隙間は残しておかなければ気持ち悪がって叫ぶようなわたしがいる。
どことなく、自閉症のひとの気持ちがわたしにはわかる。
セックスはできる。
ほとんど、誰とでもできる、
女とでも、自分が男だと名乗るものならば、わたしはそれでいい。
手をつなぐこともなんだって、できないことはない、
お互いに明確に了解しているそれは、何でもない。
わたしが苦手なのは、
まるで無頓着に触れてくるような手だ、
侵す気もなく侵してくるような、侵させる気もなく侵させるような、境目のはっきりしないそれ。
それでいうのなら、心もまたどこか、そうではある。
でも心って、いわば、目に見えないものだから、
実際のところそう簡単には。
でもそれを簡単にやってしまうひとがいて、
まるで無頓着に、まるで横着に、まるで無自覚に、
他と自の境目もなく、
どこからが自でどこからが他なのかということを、
まるでなだらかに、だらしなく、
お互いに侵させ合って、平気でいる。
まるで下手な芝居を観ているような気分になる。
村人Aは村人Bのせりふを間違えて言い、
王様は乞食の衣装を取り違えて壇上に立って、それに気づかない、
こんな下手な芝居は、
どこか観るに堪えないものがある。
職場の友人と帰り道に少し、話す。
もう一方の仕事を辞めたいんだけど、辞められない、辞めさせてくれない、という。
いや。
何の話なんだとわたしは思う。
手が痛いから、と言ってるのに、という。
いや、手が痛い?
なにそれ?
だから、なに?
いやもう、どこかそうした、あまりに子どもじみたところがある。
辞めたい理由なんか、言わなくていいんだとわたし。
その理由を言うってことは、その理由を潰してくれと訴えているのに等しい。
よくある、セールスに来られて、買わない理由は何ですかと聞かれ、
こうだからと真正直に答えて、そんなことはこう考えればいいんですよと納得させられ、どんどん、買わざるを得ない状況に追い込まれていく、
そんなのと変わりないものがある。
いらないものはいらない。
辞めたいものは辞めたい、いや、辞めたいってのがもう、
ないよな、どこかその語尾に余地を、隙を残している。
辞める、それだけだろ、とわたし。
理由なんかおまえに何の関係があるんだと言えばいい。
人手が足りないとか、そんなのは、向こうの都合だろ。
なぜあなたはそれを聞くの?
なんのために聞こうとしているの?
わたしは、誰でも、自分にとってメリットのないことはしない、と思っている。
辞めたいのに辞めさせてくれない、
なんて、馬鹿みたいに眠たい芝居を観ている気分になる。
DVに嵌りこんで逃げようにも逃げられない、
今から殺すぞと宣言されているのに逃げようとしない虐殺の現場、
そんなものを観ているような、
どこか腹立たしい気持ちがしてくる。
諦めたのは自分であって、相手が諦めさせたわけじゃないんだ。
なぜそこを相手任せにするんだよ。
抵抗をしたいのは自分であって、相手が自分の抵抗を募っている、引き出しているわけじゃないんだ。
なんで相手のせいにするの?
相手にもお世話になっているし、となどいう。
いや、お世話したいのは相手の都合だろ、とわたし。
どこか罪悪感があるんだ。
あなた、罪悪感なんていうものはさ、
わたしは何よりも率先して、この世になくていいものだと思っている、と断言する。
いや、どっかでわたしは確かに、この世になくていいものなど存在しないとは言った、
言ったがこの文脈の中では、それはいらないものだと宣言するほかはない。
それが整合性というものだ。
いわば、この小芝居の中においては。
だいたい、相手に悪いと思う気持ち、それは、罪悪感と呼んでもいいが、呼ばなくてもいいものでもある。
おまえ、相手の何を侵害できる気でいるの?と捉え直すことだって可能だ。
どこかしら、えらそうなのはあなただ、
どこかしら、優位に立てている気持ちを捨てきれずにいるのはあなたの方だ、
とも言えるだろ、とわたし。
自分が相手に損害を与えることができると思っている、
相手を侵害できると思っている、
そこが間違いだと捉え直すこともできるだろ?
自分は相手に影響を及ぼすことができる、痛手を与えることができる、と信じる気持ち、
ここを捩れて罪悪感にしてしまう、そのどこかしら横着さ、ふてぶてしいほどの反転、
それは自分の傲りや欺瞞に他ならないと思うこともできる、そうだろ?
これは要するに、わたしが、
相手を変えることなんてできないよ、と飽くほど言っているのと同じことだ。
自分が変われば、自動的に相手も変わる。
自分の観念、決めつけ、思い込みを変えれば、自分に見える世界が変わってくる、ただのそれだけだ。
理由なんかさ、
それをするのも、しないのも含めて、理由なんか、
それこそキリなく幾億通りも生み出せるものでしかない。
そこがセンスだし、そこが明暗を分ける、ような気がする、といったようなものでしかないんだ。
いわばそこが腕の発揮どころと言えるような何かでしかない。
バカラでいう罫線を見て、絶対バンカー、と宣言するひとを、そして外れたときに我を見失うほど怒りにかられるひとを、取っ散らかすようなひとを、どこか寒いと思うだろ?
いや、わたしも思うよ。
絶対バンカー、はやばい。
絶対にそれは悪いことだと思う、というのも悪い。いや、可笑しい。
知らんがな、というほどのものでしかない。
風車に突進するドン・キホーテはやばい。
そしてわたしたちの誰もがどこか、そうしたものに邁進しがちな何かを、残している。
目を開けて、見て、
思い切って目を開けて、
そうしたら、振り上げた刀を捨てるだろう、突き刺そうとした槍を投げ捨てるだろう、
自分が挑もうとした正体の、あまりな滑稽さにただ笑い転げてしまうだろう。
あなたは自由なんだ。
そこを取り違えてはいけない。
すべてはあなたに懸かっているのであって、他はない。
そこを、決して取り違えてはいけない。
相手に悪い、
いや、おまえ、自分、何様なの?という視点をもつ、
そんなこともできるだろ、というような何かでしかない。
今日、昼間にそのお客がくる。
いつか関係した。
自分、このタイミングでいったい何をしにきたの?と思ってそれだけでどこか笑ってしまうものがある。
わたしはどこかの地点でふと、そういえば、
彼を連れてきたのはあなただったのか、ということを知って、
動揺してしまうような、
どこか怯んでしまうような、
どこかしら、
この、弱気のような何かは何だ、と口惜しがる、悄然とした、憮然とした、気持ちを感じて、
そこを気にしていた一時がある。
またやってきたそれ、に夢中になってしまうような、
いやここが正念場だろ、と思ってしまうような。
自分、おまえ、ほんもの?
と言いたいような、
自分、そんなんだったっけ?と思うような、
ちょっと浮遊するような違和感をわたしは覚えている。
のんちゃん、と事あるごとに連呼してみたり、
のんちゃん、次どっち?となど、
そんなこと、これまで言ったことないじゃん、と戸惑うような。
わたしはどこか、これは、あれだろ?と思っている。
わたしを抱かせてや、とせりふを読み上げるように言ってきたお客に対して思ったような、何か。
知ってやっているんだろ?
おまえ、邪魔するふりをして、実のところ、応援しにきてくれたんだろ?
いや、知ってなどいない、邪魔する体なんかではない、応援などしにきてはいない、
わかっている。
まだ明らかに目に見えないものを左右しようという、どこか、
驕り高ぶったような、矜持のような、自恃だけ、
まだ見えぬ空白を自分が埋めると宣言するような何か。
いや、実際のところ、それしかないじゃんってわたしは思っている。
もう目に見えている何か、に何の価値があるんだよ、と思っている。
そう思っている。
わたしは、一個、
一つだけ言うのなら、
自分を守る、ってことがどうしたって嫌なんだ。
そんな汚い、
そんな横着な、
そんなどこかしら貧乏性なそれ、
いらんやろ、と言いたがる自分がいて、
いつだって笑ってしまう。