カルマは愛だよ。
友人にこないだ、のんちゃんよく主語がないって言われてたの覚えてる、とおかしそうに言われて、
いやさ。
よく言われてるのならたしかに問題というか、
要するにわたしのほうでも相手に対する無関心があったのだと思うが、
なにも期待していないというか、
お父さんがよく言っていた「見てわからんもんは聞いてもわからん」的な投げやりさがあった、というか。
こういうことは、なんていうか、
照れではないが、
美意識ではないが、
いえば、言葉は少ない方がいい。
省けるものは省いていったほうがいい。
わたしはよく一回ですむところを二回するのは嫌いなの、ということをいう。
「あ」で通じるのなら「い」まで言わなくていい。
新人の子の研修をしているときにも、
90ドルナイスキャッチ、100ドルから参ります、ショート10ドル失礼します、コミッション10ドルから失礼しますって、
いまなんで二回失礼しますって言った、と思って、
そういうときは、ショート10ドル、コミッション10ドルから失礼しますって言うのと教えてあげる。
整理するの、ちゃんと、文章を。
二回も三回も言う効用、というのはある場合もあるのかもしれないけど、
無自覚になんとなくやってるんなら、一回にまとめましょう。
効果がないのなら重複は避けましょう。
美意識っていうか、美意識で合ってると思うけど、
効率が悪いことは美しくない。
必然性のないことは美しくない。
起きる物事はなんだって必然で、その必然性は絶対に後付けではあるのだが、先付けはできないから、(先付けもできるんだけども)
ここをなんとなくとか偶然にしておいては、
なんとなくならなんとなくの効果、偶然ならばそれが偶然である効果、を感じていないのなら、
必然に置き換えていってもらいたい。
その方が潔いし、美しいから。
コミュニケーションにおいて、わからんやつが馬鹿、となど言っていたら、そいつこそ馬鹿、なのは間違いないんだけど、
たしかに、通じる相手と通じない相手がいるんだよな。
勘が鈍い。
これは、もう、そうだなあ、馬鹿にしていては自分が馬鹿になるからやめておくとして、
馬鹿にしているわけじゃないが、
勘が鈍いことは、往々にして勘違いへと発展しがち。
なんだろうな、勘って。
馬鹿にすることには意味がないが、勘が鈍いと、勘の鋭いひとから、一定の状況下においては見透かされがち。
勘だけじゃだめなのだが。
愛がないとな。
愛というか、関心だな、相手への関心もなく勘が鋭いばかりでは、その勘の鋭さが自分を苦しめるだろう。
勘が鋭くても、相手への関心がなければ、それは勘違いへと発展していくだろう。
わたしも人の子なので、自分にわかることは相手もわかるだろうということを、まあやってしまうことはある。
そしてさっき言ったようにそこには美意識も絡んでくるので、
言葉少なに通じ合える仲への気持ちよさを感じるってことは当然のようにある。
友人の一人にものすごく言葉数の多い子がいる。
東京だったか忘れたけどバスで行ったとき、ずっっっと、喋るの、自分ばっかり。
話の切れ目もなく。
話がどんどん展開していって、枝葉まで太くしていって、もはや根幹に戻るのにも一苦労、みたいな、
要するに全然整理されていない、思いつくままの話をする。
いやわれわれ喋りのプロじゃないですから、にしても常人の比ではない。
だれだれっていう子がいて、だれだれっていうひとがいて、そのひとをなんでだれだれって呼んでいるかというと、こういうことがあって、そこにいたのはだれだれで、
いやドストエフスキー読んでるんじゃないんだからっていうくらい名前さえもが煩雑にして量が多い。
いや、それでいったい何の話をしようとしてこの話をはじめたの?と何度軌道修正を促しても、やっぱり枝葉を育てちゃう。
わたしも相当辛抱強いと思うが、次第に疲れてきて、
いったいこういうのは何だろうな、という自分の思考へと意識が向かう。
いま思い返すに、もう、そうなんだよな、彼女自身が、枝葉を生きている。
枝葉を生やすためには根幹を育てなきゃならないし、あなたはそもそも根幹でもあるんだということを、忘れてしまって、蔑ろにして、まるで糸の切れた凧のように風に任せて宙を舞うばかり、起きた物事に簡単に一喜一憂して、それがあたりまえだと思っている。
仕事を飛びたい、というんだ。
なんで飛ぶんだよ、辞めるでいいじゃん。
ここを整骨院の先生は、何かに毒されているんじゃないですか、テレビとかに、というんだけど、それはまたちょっと違う、と感じている。
辞める、ということさえもストレスなんだよね、おそらく。
辞める、ということで起きるあれやこれやのコミュニケーションさえもがストレス。
それは結局あなたが、自分の気持ちに嘘を吐いているからだ、とわたしは思う。
厳しく言うと嘘、やわらかく言うと、誤魔化している。
もう、他にもそういうひとはいるだんけど、
というかだれでもなのかもしれないけど、
仮面は仮面でしかない。
嘘は嘘でしかない。
過去の古傷、いわばカルマは、
自分の手によって解消されるその日まで、この世にある何物よりも力強くそこに横たわり続けて、決してあなたを手放すことはない。
カルマは愛だよ。
あなたは愛を受け取ることをただ拒んでいるだけなんだ。
ほんとうなんだよ。